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空襲から書物を守った書斎の秘密

雨戸開け 一日始まる 書生の暮らし (7)

陽ちゃんが記事のコメントをくれて、思い出したことが!
朝、雨戸を開ける音が、目覚まし代わりだったのだけれど、雨戸を開ける音には、もう一種類あったことを!それは、書斎の窓のシャッターを開ける音。
書斎の窓には、スチール製シャッターが内蔵されています。明治の建物なのに。

書斎のスチール製窓

これには、そもそもの逸話アリ。
先生の御尊父、鈴木信太郎先生が、フランスへ留学した際に、ご家族の事情により急遽帰国を迫られます。そこで買い集めたフランスの書物を船便で送ったところ、なんとその船が火災で焼失。多くの書物を失って意気消沈した信太郎氏は、書物は宝との思いから、再び留学した際に買い集めた本を収蔵する書庫を建設されたのです。それがこの書斎棟の由縁。
その際に、どんなことがあっても書物を守る!との思いから、当時まだ珍しかった鉄筋コンクリート造とし、スチール製窓に重厚な鉄のシャッターを設けたのです。その後、時は第二次世界大戦へ。この書斎棟は東京大空襲を逃れます。もちろん、外回りは焼けています。しかし、書庫そしてその中身は見事に守られたのでした。

豊島区鈴木信太郎記念館をお訪ね頂くと分かるのですが、書斎入口には大きな鉄の扉があり、そこから書斎へ入った廊下の床に、点検口のように開けられた跡が。
これは、空襲が終わってしばらくして、締められていた書斎を開けた時の名残。
戦火を逃れた書庫は熱を持っています。書庫の大きな鉄扉も膨れ上がり、ゆがみ、2階の鉄骨は歪むほど。ここで扉を一気に開けてしまうと、入った新鮮空気により内部が発火してしまう恐れがあるため、空襲後しばらくして雨が降るのを待ち、ちょうど書庫の鉄扉の下あたりを、文文先生と弟様の鈴木道彦先生ご兄弟で基礎下を通る穴を掘り、床板を切って内部へ侵入。中の無事と温度を確認し、書斎を開けたのだそうです。

空襲後、床を破って書斎の中へ

このお話は、家を訪れた方を案内される時、先生が必ず語られるお話で、いつしか「書斎ツアー」と呼ばれていました。笑
そして、これとセットで実演されるのが、書斎の窓の鉄製シャッターの開け閉め。今とは違い、太いベルトのようなものが書棚の一角に収納されており、このベルトでシャッターを開閉するのです。先生のお話と実演から、本を守るため、ここまでのしつらえをほどこした書斎が、明治期に建設されていたことに、来訪者は感嘆の思いで見入り、いつしか「書斎ツアー」の恒例となっていました。

書斎ツアーにて、シャッターを開け締めを実演される文文先生
書斎の鉄扉

この書斎の鉄扉は先生が在宅されている時しか開きません。
神戸は行かれる時は大きな鉄扉が閉まります。
なので、私が仕事から帰ってきて、扉が空いていると、帰ってこられたんだー!、締まっていると、しばらく留守、の合図でもありました。
ですので、この雨戸の開閉は、先生がいらっしゃる時の先生の担当。
ちょうどこの窓の上階に、私たち書生の部屋がありましたので、朝、シャッターが開く音こそ、まさに目覚まし時計そのもの。
正直、先生のいないお宅で、一人留守番というのも、少し心細さがありましたので、この音は、どこかほっとする音でもあった気がします。

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