欠点のお話
私は、町内で一二を争うまともな人間だ。厳格で、誠実で、常識的で、模範的な人格者だ。
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そんな私にも、欠点が二、三ある。本稿ではそのうち二つをご紹介しよう。
まず、ニキビを潰したり、顔の皮を剥いたりするのがやめられない。加えて、頬や鼻の毛穴から角栓を搾り出すこともやめ難いくせだ。これらをひとまとめに、「顔面いじり」と呼ぼう。この顔面いじり、実はなかなか奥が深いのだ。
ニキビは、じっくりと成熟するために数日を要する。不用意に未成熟の赤ニキビに手を出すのはご法度だ。何の面白みもない透明な組織液と、地味な痛みから涙が流れる。赤ニキビは数日遊ぶのを我慢して、膿だか皮脂だかが浮いてきたところを潰すのが幽玄なのである。加えて、せっかく育てたニキビにも当たり外れがある。当たりのニキビは勢いよくぷつんと弾けて、膿が飛び出す。場合によっては鏡に飛び散る。しかし、外れのニキビは特に感触もなく、膿が表面張力の力を借りてその場に浮き上がる。
いわゆる粉瘤は、希少価値が高い。皮膚の下に、マグマ溜まりのように老廃物が眠る。これがうまく育ったならば、ラジオペンチで粉瘤を両端から一気に圧迫する。「ぶつん」と重い音を立ててクリーム色の液体が飛び散れば大当たり。時々血が混じることがあるが、おまけと考えて良い。
このようにニキビを潰したあと、特に深追いして皮膚を抉ると、治癒していく過程で表皮がカサカサしてくる。これが広範囲に及んだものをラジオペンチや指の爪を巧みに操り、慎重に剥いていく。すると、毛穴から抜けた角栓が針山のようになって付着した薄皮が採取できる。1ミリに満たない大きさだが、目を凝らせば充分に目視でき、目を楽しませてくれる。
ニキビ潰しの跡が深ければ、瘡蓋のようになることがある。この瘡蓋様の皮は硬く、あまり角栓が付かずにぼろっと取れてしまう。こういう場合、皮を剥いたりあとの「跡地」には、むき出しとなった毛穴があるため、これを毛穴搾り(後述)しても良い。ニキビは、本体でも充分に楽しめるが、治癒していく過程も遊び甲斐があるのだ。
私はニキビを潰したり、皮を剥いたりすることは中学生の頃から嗜んでいた。成人してから始めたのが、毛穴搾りである。手法としては、まず黒ずんだり、詰まっている毛穴を見つける。ラジオペンチをなるべく皮膚に対して垂直に構え、毛穴の両端を挟む(イメージとしては、円の上下に、ラジオペンチの先端で接線を作るようにする)。そして毛穴を絞るように皮膚を摘むと、にゅるっと角栓が滑り出てくる。これが何にも変え難い快感なのだ。搾り取った角栓は、手鏡を持っている方の人差し指の脇腹に一本ずつ並べて、村を作る。最後はそれらを指で丸めてゴミ箱に捨てればいい。ちなみに、私は引きこもり気質があり、昨今の新型感染症蔓延に伴うステイホームブームが手伝ってほとんど家から出ないのだが、たまにマスクをして街中に出かけると、帰宅後頬の毛穴がかなり黒ずむことを発見した。
このような顔面いじりを繰り返していると、特に最近、20代半ばになってからは色素沈着が著しい。私の左頬には長崎県の県影が浮かんでいる。しかし、これでいいのである。私は男で、皮膚病などを患っているわけではない。ましてやアイドルなどの類でもない。顔にシミや傷があったところで、何ら不利益はないのである。
欠点として挙げた理由は、あまり健全な趣味と言えないことを自覚しているからだ。
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次の欠点だが、これは短い。なんせ熱意がないのだから。
私は、寝具を2年ほど全く洗濯していない。理由があるわけではなく、単に面倒なのだ。昨年の熱帯夜にかいた寝汗も、昼寝でたらしたよだれもそのままである。
欠点として挙げた理由は、どう考えてもダメなことだからである。
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私は、いくつか欠点があるものの、町内ではトップクラスのまともな人間だ。そのプライドがあるからこそ、この程度の欠点に気落ちせず、これからも暗闇に潜む怪異に怯え、生きていきたい。