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コミュニケーション能力ってなんだろう

人間関係って、コミュニケーションって難しいよね。なんか最近、○〇力って言葉が増えてる気がする。コミュニケーション能力、女子力、人間力うんぬん。

でも、いろんなことを能力としてはかる世の中って結構疲れない?私だけ?

だって、なんていうか、コミュニケーション能力って言葉を使っちゃうと、何か話がかみ合わないときに能力が低い側に責任があるみたいな言葉のニュアンスになるっていうか。

コミュニケーション能力って言われちゃうとなんか素の自分でいちゃいけないみたいに私は勝手に思っちゃうんだよね。本当は突拍子もないこと言いたいんだけど、もっとスマートに話した方が良いんだろうな…みたいな。考えすぎなんだろうけどさ。

コミュニケーション、で考えるなら、もっと自分を出して良い気がする。だって能力が高い低いじゃなくて、相手と自由に話して良いような気がするから。

私としては、コミュニケーションってお互いを理解するためにあるのであって、私はこういう人間です、あなたはそういう人間なんですね、ってことが分かり合えれば良いだけであって、人間のひとつの特性として、無口だったり人と話すのが苦手だったり、ってことがあって…それを含めてそういう人間なんだねって理解し合えたら良いよなあとか思う。

人間力、なんてさらに変な言葉だって思っちゃう。変、っていうか…疲れる言葉だなって。

人間に上下とか優劣があるみたいな言葉。

みんな得意なことと不得意なことがあって、ただそれを補い合いながら生きていければよいだけなのに、人間力とか言われたらなんか…疲れちゃうよ。

たまたま自分の得意なことが現代の日本のこの社会に生きるうえで役にたつことだった人はすごく生きやすいわけだよね。例えば私の職場でも、パソコンいじるのが好きで、得意な人は重宝されている。だけど、例えば木登りが得意だったとしても、この社会で生きていくうえではあまり役に立つ技能にはならない。だけどもしかしたら、狩りとかやってた時代なら木登りとか重宝されていたかもしれない。その時代ならパソコンがそもそも無いから、パソコンに関する才能がいくらあってもなかなか活かせない。

なんでもそういう、得意なことがたまたま社会にフィットしてたら社会的に認められやすい、っていうだけなんだよね。

だから人の優劣なんてつけられないし、もっとゆるーく生きてもいいんじゃないかなって思う。

もっと、自分の不得意なこととか失敗とか露呈させつつ、助けてもらいながら生きていきたい。そして誰かが不得意な分野で自分ができることは助けてあげたい。

そんな感じのことを考えたお正月でした。

全然まとまり無いな。

ありがとうございました。またねー

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