練習は完璧を生み出せるのか?
『自分の最大限の能力で、他を抜きん出る為には、必要なだけそれに専念する事』でも、それだけでいいのか?『何かに秀でるには、1万時間練習することだ。』と聞いた事がある人もいるかもしれないが、その時間は、何の指針にもならない。優秀なバイオリン奏者の学生は、18歳になるまでの総練習時間は、7400時間ほどで、切り上げて20歳までの総練習時間が1万時間と言うのも、平均的な喩えに過ぎない。それに、他半分の優秀な学生は、そこまで練習を重ねていなかったりもする。
ポイントは、どれだけ練習するかではなく、どのような練習をするかが重要なのだ。例えば、車の運転のように、ある作業を自動的にできるようになるまで繰り返し、何度も行うことは、本当の練習とは言えない。一方で、スポーツや楽器のような複雑な技術を向上させて行くには、目的を持った練習が必要で、それに加えて、例えば世界レベルで活躍する演奏家やスポーツ選手となるには、それなりの競技環境と、適切なトレーニング方法を教えてくれるコーチが必要となる。これが、『意図的な練習』だ。
作業の繰り返しの練習と、技術を向上させる為の練習が、内容が違えど、両方を『練習』と呼ぶのは、偶然の一致ではない。それは、技術は衰えやすい物である為、優れた演奏家やスポーツ選手は、基礎からの練習を止める事はないからだ。例えば、世界的なピアニストは、毎日スケールやアルペジオといった演奏したり、武道家が一つの動きを続けてしたり、チェスプレイヤーがパズルを解くように、常に基礎的な訓練を怠らないからだ。
ロックギターの名手、ロン・"バンブルフット"・サールは、非常に簡単で単純な練習を、とてもゆっくり、ゆっくりと弾くことを勧めている。これは、ある活動へ完全に没頭し集中できる心理的状態、フロー状態を促すもので、最終的に練習自体が瞑想のような感覚となるのだ。
誰もが練習を必要としているのは、間違いないのだが、研究されて来たスポーツ選手や演奏家達の中で、練習に時間をかけずに、世界最高峰になった人はいない。では、世界最高峰になるには、練習さえしていれば良いものか?という事でもない。
脳と練習の観点では、音楽家の脳は、指のコントロールや聴覚の処理に関連する部分の白質密度が高いことがわかっている。また、何かを成功させる為の環境がなければ、誰もが偉大になれる訳ではないとも認識されている。要は、誰も1人では成功出来ないのだ。モーツァルトでさえ、父親による早期英才教育により、コツコツと面白くもない初期作品を、子供の頃から作らされていた。言えるのは、モーツァルトの才能とは、我々皆が持って生まれて来ている、訓練によって適応し、配線を変えることができる『脳』だ。
その一方で、行動や性格の特性は、ある程度遺伝されるので、遺伝と環境の相互作用の複雑さを考慮しても、遺伝が与える影響は少なくない。遺伝的特性の中でも、勤勉さや決断力は、自分が選んだ分野で努力をする能力や可能性を高める。
そうだとしたら、練習嫌いの良い言い訳になるかもしれない。ドイツの作曲家、ニルス・フラームが、「子供の頃、ピアノの練習が嫌で退屈で仕方がなかった。でも、我慢して続けたのは、美しい物の為には、苦しみも必要と理解していたからね。」と述べ、更に「苦しみや辛さを経験せず、美しい物だけを残そうなんて、ダメでしょう。」そう、練習は大変だけど、全米オープンが行われるフラッシングメドウ公園までは、連れて行ってくれるかもしれない。