見出し画像

『烏帽子親子制度2.0』を考える

0. はじめに

烏帽子親子制度は、石川県では大昔から能登地域のみに存在する血縁関係のない親子関係を結ぶ風習である。
烏帽子とかいて「よぼし」と読む。(えぼしが訛ったという説がある)
血縁関係は無いが冠婚葬祭には烏帽子親は出席するなど、本当の親子のような関係になる。
現在では、九州(長崎県他)の一部で同じような制度があるが、能登地方ではほぼ実態はない。
それどころか現在は、石川県民であっても存在さえ知らず、名前すら聞いたことがないという人が多数である。
(個人的な調査ではあるが、現在の60歳くらいが知名度の分かれ目という感覚である)
およそ平安時代から続く制度が、『烏帽子親子制度1.0』だとすると、平成17年に始めた羽咋市の烏帽子親農家制度は『烏帽子親子制度1.5』くらいの進化を遂げている。そして、ここにデジタルな要素を加えた制度を『烏帽子親子制度2.0』と定義した上で、論理を展開してみる。
この制度こそが奥能登の若者交流、関係人口、農業再生、デジタルデバイド、震災時の情報連携、あらゆる課題を解決し得る先人の知恵なのではないかという論理を展開してみる。
そして、よりデジタルを取り入れた方法で、『烏帽子親子制度2.0』を定義できるのでは無いかと思い、今回はそれをテーマにコラムを書いてみる。

1.烏帽子親と能登の繋がり

制度の始まりは平安時代とも言われる。元来は元服する際に親の烏帽子帽を子に被せる儀式があり、元服の儀式の中では最も重要で厳格な儀式であった。
滋賀県に残る義経の伝説を引用する。
「平治物語」(鎌倉時代)によれば鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と名乗り、承安4年(1174年)3月3日、16歳の時に鞍馬寺を出奔。その夜、近江国鏡の宿に宿泊。この地で自ら髻を切り烏帽子を被って元服、「源九郎義経」と名乗った。鏡の宿は東山道にあった宿場町。鏡神社から近く、この時義経はただ一人で鏡神社を参拝、この松に烏帽子を掛けたという伝承がある。
義経との関わりが強い能登地域だからこそ、烏帽子親子という風習が出来たのではないかと推測している。

2.能登における烏帽子親子の風習

 鹿島町史によると、ひと昔前のムラ社会では、「若い衆」と呼ばれる青年集団に加入することは、一人前としてムラの掟や仕来りを理解し、社会的に一人前の裁可を得るための必要条件だったと言われている。13~15歳をもって加盟年としている地域が多い。「若い衆」への加入は、今日でいうところの「成人式」に当たり、戦前では「元服祝」と称し、ヨボシ親と呼ばれる仮親を立てて、個別に青年を祝う風習が普遍的に見られた。
 昭和13年に編纂された御祖尋常小学校の「郷土調査二輯・風習思想篇」には次のように記載されている。


男子19歳(或は17歳、20歳等一定していない)に達すると、適当な人を選んで元服親になってもらうことを依頼する。これを「親取り」という。元服親を「烏帽子親」ともいい、その子を「烏帽子子」という。(中略)ここに親子関係が成り立つのである。

元服親は烏帽子子の将来の生活を保護する義務を負っていたため、特に戦前のムラ社会においては、地主ー小作という社会・経済的関係に基づいて、こうしたヨボシオヤ・コ関係の締結が行われていたと分かっている。
 一方、女子においては、肉体的な変化によって成人とみなす場合と、結婚し、一子をもうけることで一人前=成人とみなす考え方が少なくとも戦前の鹿島町にはあったと言われている。(歴史的に見た男女間の社会的な地位の格差についてはここでは扱わないこととする。)
 能登島町史には以下のように記載されている。

能登島では今日もいまだに続いている社会慣行としてヨボシオヤ・ヨボシコ制度がある。(中略)若者衆の加盟儀礼のような形態で、いわゆる集団加入型の元服祝が行われたものである。

能登島は在所ごとにヨボシオヤ・コ制度の風習に違いがあり、事細かに記載されている。また、家族形態の変化や実生活など時代の変化に柔軟に対応しながら、簡素に変化していったようである。
 また、女子に関しても特有の風習があった。

ヨボシオヤ・コ関係は主に男子を対象にするのに対し、女子の場合にはオハグロオヤ、オハグロコといった同じ仮親をとる慣行があった。ただ、時代とともに、男女ともにヨボシオヤ・コと呼ばれるようになった。

ヨボシオヤ・コ制度は以下の性質を持っている。
・ムラの「若い衆」の一員として認められる通過儀礼
・血縁関係のない後見人
地域全体をひとつの家族だと定義すると、元服つまり烏帽子親を取って初めて成人だと認められ、ムラの兄弟・家族として自立することが出来る。そして、血縁関係のない家族が出来ることで、地域にとっての一人前に自立した成人だと認められる。逆に言えば、外部からの闖入者に対していきなりムラの一員と認めることはない。閉鎖的なムラ社会の慣行とも言える。
 全国のムラ社会では、ヨボシオヤ・コ制度はないものの、元服儀礼、つまり地域との契約関係の締結をする儀式というのは存在する。それがムラ社会である。(ここでいうムラ社会は、現代風に言うと、地域住民の顔と名前が一致する社会くらいに思っておけば、イメージが付きやすいのではないかと思う。)

次に、石川県羽咋市の烏帽子親子制度について少し触れる。
平成17年に石川県羽咋市の神子原地区で始めた『烏帽子親農家制度』では、東京の大学生たちが当時の神子原村にやってきて、高齢化の進む農家に一定期間住み込み、農業体験をしながら農家のばあちゃんたちと本当の親子のような関係が築かれる仕組みとなっている。
古くからある能登の風習としての烏帽子親子制度はムラの内部の人間の通過儀礼であるのに対して、
羽咋市の取り組みは、外部の人間を烏帽子子としてムラに迎え入れる制度である。
これは人口減少地域にとっての新たな関係人口増加策としては新たな突破口であり、現代風に進化を遂げた形態である。
ここでは、烏帽子親子制度1.5くらいの進化だと定義する。

3. 家族の拡張性

 現在では日本中の多くの地域で人口減少、過疎化が進み、特に震災で住居が減少した奥能登地域では、早急な人口対策を行わないと手遅れになってしまう。とはいえ、例えばとある地域に若者30人が移住してきたとして、彼らが隣人と挨拶はしない、祭りは参加しない、地域の行事もツトメも行わない、災害発生時には誰もコミュニケーションを取る相手がいない、助け合う手段を知らない30人だとしたら、どうだろうか。大袈裟ではなく、都会に住んでいる人の多くは後者に当てはまる。一方で、能登地域の多くでは、現代でも、上記すべてが必要とされているのではないかと思っている。
 ここで、家族の拡張性という議論と、拡張性するために必要な緩衝材としての烏帽子親子制度を議論した上で、直近の災害で課題となったデジタルライフラインの課題解決の議論に進んでみる。
 東浩紀の『観光客の哲学』の2章で触れられている通り、家族という概念の拡張性について考えてみる。拡張性の具体的な例で言えば、人はペット(犬や小鳥やハムスター)を家族とみなすことが出来る。血縁関係や戸籍の関係を超えて、愛情だけで家族の枠を拡張出来る。また、先ほどの烏帽子親子制度も同様に、血縁関係を飛び越えて、ムラの一員として成熟が認定されれば、家族として盃を交わし、相互に冠婚葬祭の一切の面倒を見ることになる。
 では、現代において、ムラ社会の持つ閉鎖的な慣行を突破して、地域住民として認めてもらうためにはどうすれば良いのだろうか。
 その解決策として、烏帽子親子制度は、こんな時代だからこそ有効活用出来ると考えている。それは、平治物語の時代から続いている元服の慣例をそのままの機能で復活させるのではなく、
 「地域の後見人機能」=「お世話する人」
を付けるというものだ。
祭りや挨拶や地域行事は、やり方を教えてあげればよいし、日ごろからコミュニケーションを取り、食べ物を分け合い、助け合うことを教育してあげる。
 つまり、元来の烏帽子親子制度は、ムラの掟やルールを理解したとムラの人に認められて初めて烏帽子親を取っていたが、「烏帽子親子制度2.0」では、ムラの掟やルール、ムラで生きるための術を教えてあげるための烏帽子親子制度という訳である。
 大変回りくどい議論をしたが、新人研修の時の、新人とチューターのようなマッチングを移住者に対して行うことが重要だということにまとめられる。ただ、それだけでは、『烏帽子親子制度2.0』としては新鮮さが無い。ここにデジタルの議論を追加する。

4. 烏帽子親子デジタルライフラインの構築

 高齢化の進む地域でデジタルツールを議論する際に、高齢者のデジタル端末問題がいつも問題になる。ガラケーや携帯電話を持たない人には情報が行き届かないのではないか。ここでは、情報伝達の議論は行わないが、烏帽子親子制度をうまく活用出来れば、この問題も解決するのではないかと考えている。
 石川県羽咋市での烏帽子親子農家制度では、都会の大学生の迎え入れ、一定期間農家体験をするという体系で烏帽子親子の関係を構築した。実際に大学を卒業した後も関係が続いたり、結婚式に烏帽子親を呼んだ例など、関係人口よりも深い本当の家族のような関係性が築かれていた。
 発想は大胆かもしれないが、『烏帽子親子制度2.0』構想では、高齢者の住宅にデジタルツールを設置したり、プッシュ通知は行わず、高齢者宅に若者(烏帽子子)が住んでもらう。というものだ。烏帽子親子の関係であれば、血縁関係はないが親子同然である。その烏帽子子に対しても、自治体は必要な情報をプッシュして通知すれば良い。あとは、証明書の問題をクリアすれば良い。烏帽子親子2.0はデジタル署名を採用し、ブロックチェーンの技術を使えば、デジタル署名も容易に構築できるはずである。
 ただし、最も注意しなければならないのは、若者たちがヘルパーのように烏帽子親の身の回りの世話をするために地域に住むわけではない。
 財政的に厳しいが、衣食住が整った状態で、自分の仕事や作業や制作に集中したい人や、農業のフィールドワークの場所といった若者と一緒に住んでもらい、特定のポータルサイトのようなデジタルツールを導入し、若者(子ども)に対して情報をプッシュする。また、災害時はそのポータルサイトを通じて安否確認や情報発信を行うという構想である。
 また、首都圏の「企業の新人研修」の場所として奥能登地域に一定期間住んでもらい、『烏帽子親子制度2.0』を十分活用できると思っている。近年は、企業の新卒の社会人が3年も持たずに退職するという。リモートワークやコミュニケーション不足と言った様々な社会的な要因があるが、新人研修の際に1か月ほど奥能登に来て、農家に住み、仕事が終わったら釣りをしたり、休みの日は農業の手伝いをしたり、祭りの準備をみんなでしたり。都会では体験出来ないコミュニケーションがたくさん生まれるはずである。
 二拠点居住の議論もメディアに取り上げられているが、外枠の制度以上に、内側の制度(ムラ側の掟)は無視できない問題である。住民税を払えば良いというものではない。お金を持っていれば良いというものではない。かといって、地域側もすべての人を追い払いたい訳ではない。ウチとソトを繋ぐためにも、烏帽子親子制度2.0を活用し、移住者の後見人を付け、さらにデジタル面で災害に強い繋がりを作る。
 なにも全く新しいことをやるわけじゃない。平安時代から続いている親子関係の制度をそのまま使えば良いのである。

5. さいごに

 『烏帽子親子制度2.0』は、平治物語の時代から能登にのこっている風習を、現代の奥能登地域の課題解決に役立てるのではないか、と論理を展開してみた。政策提言でもなく、全く新しいことでもなく、今まで地域にあったものを、少しだけ現代風にアップデートすることで、その地域にあったやり方で、課題解決の糸口になるのではないか。というコラムを書いてみた。
 実際に行われてきた制度であるし、羽咋市のような実例があれば、ノウハウを学ぶことが出来るし、そもそも今の高齢者たちは烏帽子親子制度について知っているから、説明の手間も省けるだろう。
 能登の移住者=家族の一員を増やすためには、地域にとっての家族を増やすこと。家族を拡張するためには、緩衝材として烏帽子親子制度を活用しつつ、デジタルツールを移住者側に持たせて、高齢者への情報発信および災害時のデジタル連携を行うことが出来れば、地方の課題だけでなく、都会の課題をも、一緒に解決することが出来るのではないだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!