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【オープンデータでデータ分析】人口重心から見る石川県奥能登2市2町の人口点在

おつかれさまです。石川県のシビックテック団体Code For NotoのBee.B.です。
民間企業で働きながら、石川県のデータアナリストをしている者です。

今回は、s-Statのオープンデータを活用して、石川県の奥能登2市2町の人口重心および人口点在の課題を可視化していこうと思います。


奥能登は集落が点在しているのか

令和6年能登半島地震を機に
「ぽつんと一軒家状態の集落をまた再建していくのか」
「都市部へ移住を促した方が良いのではないか」
という議論を良く目にするようになった。

よし、奥能登地域に関心を向けてくださっているイマがチャンス。
きちんとデータを見てもらい、能登への理解を深めていただこうじゃないか。

ちょっと奥能登地域の歴史

奥能登地域の歴史は古く、奈良時代から外国と貿易をしている歴史も遺っているほど、グローバルな都市である。近年では、北前船によって日本海側が表日本と呼ばれていた時代は人口が集中していた。特に1881~1886年は福井県の越前を含む石川県の人口は日本で一番多かった。
そこから太平洋側に経済の中心が移り、人口が次第に減少したいったが、北前船によって日本中から様々な物資や情報や人が集まる「流れ」の中心だった能登地域には、古くから地域に根付く文化が醸成されてきた。

平成の大合併を経て、東京都の面積とほぼ同じ奥能登地域には2市2町のみとなり、山間部、沿岸部、都市人口集中部と集落が点在している状態をデータで見てみよう。

人口重心とは

総務省統計局「我が国の人口重心」

https://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/pdf/topics135.pdf

人口重心とは、人口の一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点をいいます。(以上のリンクから引用)

総務省による定義:

人口重心は、行政施設や商業施設などをどこに置けばよいかといった施策に生かされたり、
被災した人口から算出された「被災重心」を求めることで、仮設住宅をどこに置けばよいか。と言った用途で検証に用いられている。

石川県に住んでいる人にとったら、大体どこが重心なのかは直観的に分かるかもしれないが、
実際に定量的に可視化することで、きちんとデータに基づいた施策を行うことが出来る。

扱うデータ

今回は以下の国勢調査2020の1kmメッシュデータを用いて人口重心を算出する。

総務省統計局の公表している人口重心は、町丁字ベースで算出している。
メッシュベースの中心緯度経度で計算を行うと、例えば、海に面しているメッシュの場合、人の住んでいない海に中心が来ていたり、県境のメッシュの場合、隣の県と按分する必要が出てくるが、今回はそれらを考慮せずに計算することとする。

実際の計算結果

石川県19市町の人口重心

実際にGoogleマイマップにプロットしたものがこちら

次に奥能登2市2町のそれぞれの人口重心について詳しく見ていこう

輪島市の人口重心

輪島市の人口重心は、朝市などがある河合町より南、道の駅輪島や市役所よりも南に位置している。

以下の人口メッシュマップを見てみよう

輪島市は西部に位置する門前町、南部にはのと里山空港を有し、山間部にも多くの集落が点在している。もともと門前町は別の町だったが、平成の合併によって輪島市となっている。門前町には總持寺祖院があり、北前船によって栄えた黒島町との関係が深い。そのため、門前町には古い歴史とともに多くの人が住んでいる。
そのため、輪島市の人口重心は中心地よりも南に位置している。

珠洲市の人口重心

珠洲市の人口重心は、市役所のある飯田町のやや北東に位置している。

再度、以下のメッシュのマップを見ていただきたい。

珠洲市は北、南、東の三方を海に囲まれた北陸最先端・最果ての都市であり、公共交通機関がひとつもない。
人口は市役所付近~南の見附島のある方までメッシュが赤くなっており、
南西方向に多くの人が密集していることが分かる。
しかし、人口重心は市役所よりやや北東に位置している。つまり、能登半島の北側の海(外浦)の沿岸部、東部の沿岸部、そして山間部にも数人~数十単位の集落が点在してしていることが見えてくるだろう。

そして、能登半島地震の際に沿岸部や幹線道路が通行止めになると、途端に隣町にすら行くことが出来ず、孤立してしまう。
とくに珠洲市は高齢者率50%を超え、後期高齢者率は30%を超えている。そして今後、免許を返納する人も増えていくことを考えると、日常生活の「足」の問題は顕著に社会課題となる。

能登町の人口重心

能登町の人口重心は町役場のやや北東に位置している。

人口メッシュマップも合わせてご覧いただくと、町役場のある宇出津地区、そこから東にいったところに九十九湾があり、さらに北東に向かうとまたほんのり赤くなっている松波地区がある。
九十九湾は巨大なイカにモニュメントで世間を賑わせた「イカキング」がある。また、アニメ「君は放課後インソムニア」の最終到達地点の舞台となった真脇遺跡があり、沿岸部に集落が広がっている。また、山間部ののと里山街道沿いには柳田地区もあり、商業施設が集中している地区もある。

このように、
能登町の人口の分布もまた山間部、沿岸部に点在していることが分かる。

穴水町の人口重心

穴水町の人口重心は市街地よりも大きく東にズレたところに位置している。

人口メッシュを見ても分かる通り、穴水町は中心街の東部の沿岸部に集落が点在している。

衛星マップから穴水町を見てみても、一見すると、穴水駅のある中心部が人口重心に思えるが、東部の突き出た沿岸部付近には平地も点在し、多くの集落がある。

この能登半島と富山県に挟まれた富山湾は「通称、べた凪」と言われる波のない大きな海が広がっており、とても美しい。
沿岸部には県道34号線が走っており、べた凪の海の真近くをドライブすることが出来る。また、かつて沿岸部には鉄道が珠洲市の蛸島まで通っており、交通の便も良かったため、集落が多く残っている。

人口重心と人口メッシュからみた奥能登2市2町

このように人口重心を見ると、土地勘のない人からしたら、都市部から離れた「ぽつんと一軒家」は諦めて、都市部に移住したら良いのではないか。と思うだろうが、実際は「ぽつんと一軒家だらけ」と言っても良いほど、小さい単位の集落が多く点在しているのである。

能登の生活と祭り

そして、その地域それぞれに大昔から行われている「まつり」の文化が色濃く残っている。

冬の厳しい寒さと工夫
多くを山と海で囲まれ、大きな川が流れているわけでも、潤沢な平地があるわけではない能登半島は、潤沢な作物が取れる土地とは言い難かった。そのため、夏に撮れた野菜や魚を発酵させることによって長く持たせる「発酵」の文化が根付き、いまでは「発酵の聖地」とも言われている。

夏になると、年に1度、稲作や漁の農作に感謝する「あえのこと」と呼ばれる報恩講が開かれ、キリコや巨大な「やま」と呼ばれる山車を引き、集落中の人が出てきて、夜中騒ぎ立てる。そのエネルギーはどこからやって来るのかと思うほど、イキイキと祭りに取り組む。

「よばれ」
能登では祭りの期間、民家の戸は大きく開かれ、誰かれ構わず「お呼ばれ」され、ご馳走をいただく。知らないおっさんがうちで寿司を食べている。なんて当たり前のことだという。
若者は街中に渋谷や六本木のような華やかな遊び場こそないが、年に一度、酔っぱらって大人に混ざって朝まで騒ぐと、なんだか自分も大人の仲間入りをしたような気持ちになり、また、静かな能登の生活に戻っていくのである。

田舎らしさ
そんな田舎らしい祭りは、見方を変えればうざったい風習で、能登を出ていく人たちもいる。ただ、都会の風に揉まれて能登の豊かさや温かさを改めて感じた人や、都会生まれで能登の魅力に惹かれて能登に入る人もいる。そして、厳しい冬の寒さに耐えて、また華やかな「まつり」を楽しむ。そこには、祖先への感謝や信仰、そして次世代に遺したいという想いがあるのだ。

さいごに

今回はオープンデータを活用して、人口重心を算出し、地震の被害の大きい奥能登2市2町の人口構成を構造を少し見ていただいた。
そして、単純にひとつの都市部に人を暮らしてもらうだけではなく、能登に残る文化や歴史、祭りと人の想いも汲み取りながら、今後の復興がしていくべきだということが、少しでも伝わっていただけたら幸いです。

次回は、人口重心を用いて、「標準距離」つまり、コンパクトシティ度合を測り、面積及び歳出との関係を見ていこうと思います。

ありがとうございました!

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