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新しい神さま①

 

 神さまは朝顔にひとしき

 薬罐の音に起こされる。そうして、美しい泣き声が耳に届いてくる。立ち上がり、火を止めてリビングに戻ると、静かな目で私を見ている。所謂、小康状態というやつだ。私はその羊羹色の目の底に、何を思っているのか尋ねてみるが、しかし、答えはない。また、いつ泣き出すのか、ひやひやとした。
 薬品に浸され消毒されたほ乳瓶を火バサミで取り出して、布巾で丁寧に拭いてやる。そうして、専用の匙を使って粉ミルクを五杯、都合一〇〇ミリリットル分掬って、ほ乳瓶へと移していく。それから、湧かしたお湯を、ほ乳瓶へ注いで、熱々のその表面を、すぐさま冷水に浴びせて冷やしていく。都合、三分ほどである。時折、リビングから聞こえてくるのは、泣き声にもならないような、呼び声である。重なるように、二羽の飼い鳥の鳴き声が響く。それに耳を澄ましていると、次第次第に、自分の書いている作品世界に、頭が移りゆく。毎年春に公募している、小説の新人賞に応募するための、小説原稿である。
 小説の世界には、数多くの公募新人賞があって、その中にも玉石混淆があれど、新潮新人賞、文藝賞、すばる新人賞、文學界新人賞、群像新人文学賞の五つが、五大文芸誌それぞれの、所謂五大文学賞と言われるものである。どれも、審査員も違えば、傾向も異にしている。しかし、私にはどの賞がどのような作品を求めていて、逆にどの賞がどのような作品を求めていないのか、それらに纏わる言葉の全ては、ネットの海に書かれたwant to beの呪詛から得た、か細い知識としてしか持っていない。所謂、文壇、と言われる世界、その世界から切り離されてひたひたと誰が読むでもない文章を綴っている人間が私だ。であるからして、数々の小説の賞というものも、日本に住む私からすれば、天竺にある祇園精舎のようなものである。この世にあっても、実際にはないのである。それは、正しくこの世のことならずである、応募する権利はある。しかし、『それ』が俎上に上がることはない。そうして、その祇園精舎が印度にあるということを識ったのは、つい最近のことである。その響きから、日本の、私の住む京の都のどこかの寺院だと思っていた。水が冷たい。私は、少し水の流れを遮断して、悴む手先に力を入れた。
 所謂、賽の河原である。徒労である。私が原稿を綴ることは、徒労であって、神の刑罰である。何十作と書いてきて、十何回と投稿してきて、百萬字以上綴ろうが、今まで、それが誰かに読まれているかどうかすらもわかったものではない。一度、投稿した作品に対して、希望者に寸評を返してくれる奇特な賞に応募したことがある。それはもちろん、幾何かの金は取るのだが。私は、その時に書ける最高の作品を書いて、応募をした。誰もが、書いた作品が認められて、賞を受賞し、そうして、華々しいデビューを飾ることを、プリントアウトした原稿を綴じながら、或いは応募すべき賞の宛先を封筒に書き込むとき、若しくは、郵便局員へその封筒を手渡すときに、感じるはずだ。羞恥の極地である。その羞恥の果てた頃、忘れた頃に自宅の郵便受けに、その公募賞からの返送があった。恐れ戦き昂揚しながらその封筒を持って自室に入ると、妻に気取られぬように、静かにその封筒に裁ち鋏を入れた。一枚の紙が入ってた。私の心臓は早鐘を打った。静かに、そこに書かれた文章に目を通すと、及第点、という文字が目に入った。そうして、文章力、構成力の項目には、それぞれBという格付けがなされていた。Bである。つまりは、Aよりも下、ということである。私は、及第点という言葉が、褒められているのか、貶されているのか、それとも、十把一絡げだと、そう告げているのか、それを判断しかねた。しかし、所謂選考レースから零れたということは、つまりはそういうことである。私には、文章の才能がないのである。文学の才能がないのである。そうすると、もう堪らないから、今度はこの及第点と付けた人間が、どこ様の何様であるのか、そういうことが気に掛かって、苛立ちが募った。私の文章に及第点と付けた貴様の文章力はどの程度のものだ、貴様は人に及第点という、所謂平均であったり、普通であったりという、文章を志に持つ人間への刃に等しい言葉を吐ける権利を持ち得た人間なのかと、苛立つが募る。
 そもそも、このような文学賞の選考は、一次選考のほとんどは下読みと言われる、作家志望者、文芸評論家の卵がやるのだと目にしたことがある(もちろん、これもネットの呪詛の声である。噂である)。つまり、世に出ているような、有名ではない、私よりも一歩だけ先にリードした者である。その程度の存在が、私を批判しているわけである。私は、自分の心の声に従って、この寸評を破り捨てようかと考えたが、しかし、初めて私自身を評した文章でもあるのだから、捨てるのは忍びないと、そう思い直した。些か不愉快でもあったが、丁寧に用紙を三つ折りにし、抽斗から封筒を取り出して、中に入れると、糊付けをして、抽斗にしまった。
 それからというもの、もう寸評をもらえる類の賞に応募することはなかったが、原稿は書き続けて、延々と、やはり、賽の河原の石積みである。『いつまで親を慕うとも娑婆の親には会えぬぞよ今日よりのちは我をこそ冥途の親と思うべし。』と、地蔵和讃を口ずさみながら、いつになれば我が元に、地蔵が顕われるのかと、問う毎日である。私は、はっとした。あっとなった。随分冷えたのではないか。水を切り、人工の乳首から、ぴゅっぴゅっと、ミルクを手の甲に落とす。何も感じない。人肌である。それならば温かく、丁度良いのだと、妻から教わった。私は安心して、幽かな泣き声の元へと歩んだ。そうして、また羊羹の目に、魅入られる。瞳孔が、伸縮している。生まれたての銀河である。その銀河に見つめられて、私は静かに作り物の乳首を口元へと運んでやった。ごくごくと、喉を鳴らす。よく飲む。ミルクがどんどんと減っていく。美しい白色である。母の色である。時折、脣を濡らして、静かに呻く。その呻き声は、女の子のようでもある。今だけの、美しい男の子の声である。それは、私の耳に浄福だった。息子もまた、浄福な心地なのだろうと思った。脣が、赤色である。稚児の苺食いたるという言葉は、確か枕草子だったかとぼんやりと思ったが、赤に赤を重ねれば、二つの赤の違いが一層に映えることだろう。そのように、美味そうに飲む息子を見ていると、私は不安に苛まれる。先程、私は確かに、ミルクを入れていただろうか。匙で掬ったあの乳は、乳ではなく、何か毒素を孕んだ劇物ではなかろうか。もしそうならば、息子はどのように、美しい顔色を歪めて、死んでいくのか。或いは、熱湯であるのならば……。私は、十分に水切りをしたか。冷水を存分に浴びせたか。いいや、そうではなく、あれは熱湯のままで、息子は声も出せないのだから、喉が焼き爛れたのではあるまいか。息子はげっぷをした。甘い匂いがした。変わりようがない。大丈夫だろうか。いや、大丈夫ではないのかもしれない。あれは、蛇の乳かもしれない。私は、蛇の乳を温めて与えたのかもしれない。しばらく、見に徹するとしよう。そうすれば、私の先程の行いが大丈夫であったのか、時が教えてくれる。
 私は立ち上がり、息子をベビーベッドに寝かせると、ゆっくりと、リビングのテーブルに腰を下ろし、パソコンと向かい合った。そうして、眠っていたデスクトップをたたき起こすと、そこに書かれている、もう一人の息子と向かい合った。今書いている原稿が、幾何学的に、並んでいる。美しい並びである。今書いている物語は、両性具有者の物語だった。

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