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『ゆきてかへらぬ2』は是非、川端康成で。
『ゆきてかへらぬ』を観て、こう、昔の文豪、青春物、をたくさん作って欲しいなぁ、と思いながら、やはり、YASUNARI映画、を作って欲しいものだ、とぼんやりと思う。
川端康成、三明永夢、そして、伊藤初代、この3名の物語、を是非とも、映画化して欲しいなぁ〜。
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伊藤初代、と、言えば、YASUNARIのミューズである聖少女、である。
まぁ、実際にはそんなことはなかったのだろうが、こう、二人の間にあった『非常事件』、川端康成文学に圧倒的な影響を及ぼすこの女性の話、を、是非とも映画化して欲しい。
伊藤初代は初期のYASUNARIの小説に頻繁に登場する。
YASUNARIの婚約者、であり、彼よりも7つほど年下で、15歳の時に婚約したので、まぁ、YASUNARIの少女趣味がわかるというものだ(誤用)。
この時代の色々な思い出が、様々な作品として結実してたり、してなかったりする。この小説集の作品群は、基本的にはYASUNARIの個人史と頒かちがたく結びついている為、作家本人、作家の人間関係、などに興味などがないと、よくわからないまま、なんとはなしに綺麗な文章だなぁ、で終わってしまう。
文学作品が面白いのは書き手の人生を反映しているからで、これに興味がない人にはあまり面白いと思えない、要はそこである。結句、学ぶ姿勢、とまではいかないが、何故これが書かれたのか、その背景を識るのと知らないでは、読後感がえらい違うのである。
『伊豆の踊子』も、それ単体で読んでも無論素晴らしいのだが、然し、その冒頭に至るまでのYASUNARIの人生を識っていると、そこで描かれるもの、最後に流れる涙、の意味などが一層に迫ってくる。作家は、それを識らない人間の魂にまで触れて揺らす事ができるから作家、であって、然し、読者として、識る、ということは、まぁ、念能力を使えるのと使えないくらい作品理解に差が出てくる。
で、初代、伊藤初代、であるが、こう、なんというか、YASUNARIと離れてから数十年後、再会する時に、まぁ、無心に来るわけだが、YASUNARI、こう、いい気味だと言わんばかり、だったり、初代が亡くなった時作品を書いたりと、めちゃくちゃ未練あるやん……的な振る舞い。然し、まぁ、初恋(かどうかは知らんが、若い頃の一途な恋)は、実らないから美しいのであって、だから、川端の筆は一身にその哀しみを受けてあれほどに輝いたのだろう。
初代さん、こう、YASUNARIが夢中になるのもわかるような、儚い感じ、写真だと。岐阜に西方寺なるお寺があって、ここに伊藤初代は預けられていて、小説にでも出てくる。私は、一度訪ったことがある。こう、東京から訪れたYASUNARIに、障子の貼り替えでボロボロの手を見せたくない初代、みたいなシーンがあって、その障子があれかー、と、まぁ、100年も前の話、当然、そのままのわけはない、つーか、なんか、思ってたのと違うなー、イメージが壊れたな……、と逃げるように去る。行ってよかったと思う聖地もあれば、逆もある、ものだ。
まぁ、とにかく、この三名の話を映画化を早急に企画して、撮影して、編集して、公開してほしいものだ。