見出し画像

書店パトロール74 詩の本とお笑いと

新刊コーナーに置かれている五木寛之の対談本をパラパラと見る。

うーん、様々な業界の著名人との対談だ。私は、対談本が好きなので、これは買う候補に入れようかと迷う。1,800円(税抜)だし、お手頃ではあるが、然し、もっとウロウロしてから決めようと考える。いや、この時点で、候補ではないのか?そうは思ったが、然し、私は、購入する場合はもう、決めた時はレジ、なので、買わない可能性が高かった。

次に手に取ったのは、『父の乳』。つまりは、ファーザーズおっぱい、ということだが、いや、まぁ、これは獅子文六の小説だ。獅子文六は、ちくま文庫が頻繁に文庫で出している。

獅子文六は、まぁ、昭和のエンターテインメント小説を書いている感じで、ある時期は、一般的には、ほぼ、忘れられていたのだという。最近、再評価が来ていると、10年くらい前からずっと言っているが、まぁ、私は『箱根山』を読み、よくあるホームドラマ的な小説で、毒にも薬にもならなかったが、然し、この文庫は、自伝的である、つまりは、本当の芸術とは自叙伝であること、を考えると、これは重要な本である、ということと、その厚み、まぁ、文庫にしては、とても厚い。値段は税抜1,600円で、なかなかの高額だ。つまりは、1,760円する、ということで、これは考えざるを得ないが、パス。それにしても、この表紙の絵はすごくキレイで好きな感じだ。恐らく、サザエさんにおけるカツオも、本当には、こんな美少年なのかもしれない。学帽が似合っているね。
このイラストレーターさん、河村怜さん、すごく素敵な絵を書くなー。

と、思ったら、10年前に出ている、『娘と私』のイラストも。こちらもステキー。

で、詩のコーナーに移動する。そこで見たのは、『塚本邦雄歌集』。塚本邦雄。私は、自作の小説のタイトルに、塚本邦雄の短歌を使うくらいには好きだ。

塚本邦雄の短歌集、『水葬物語』、『装飾樂句』、『緑色研究』、『日本人靈歌』などの代表的歌集から抜粋されている。塚本邦雄の短歌は読んでいて
目眩がするほどにイマジネーション豊富だ。言葉だけでここまで酩酊させるのはなかなか難しいだろう。もし、バスの車内で、隣の人が文庫本を読んでいて、それが塚本邦雄だったら、絶対にお近づきになりたくない。いや、まぁ、芸術家的精神の持ち主は面倒くさいやつと、相場が決まっているので。

と、次に手に取ったのは、お笑い芸人であり歌人の鈴木ジェロニモ氏の『水道水の味を説明する』。

これもまた、酩酊を覚えるセンテンスが豊富な本だ。文章の形態って山程あるけれども、どういうのが自分に適しているのか、本を読めば読むほどわからなくなる。
つまりは、まぁ、山、というものが、この世には山と(シャレではない)存在しているわけで、例えば、邦雄、であるが、この邦雄の本を読むと、どうも、短歌という田畑の刈り尽くされているのではあるまいか、と思えるわけだ。無論、そんなことは全然ないのだが、然し、こう、例えば、春日井建、であるだとか、そういうのも加えると、もう、短歌村全滅〜、となっちゃう。短歌はそんなに狭いものでは断じて無い、と、いうのは理解していても、先人の、才覚のある先人の、そういう技のたくみを見てしまうと、真似しちゃうか、さもなくば、心が折れる。あ、もう私、書かなくていいやつだ、そんな心境、そう、これは誰にでもあるだろう。

まぁ、私は短歌は全く出来ないから短歌に関してはそんなことは思わないし、俳句もやらないし、詩も書かないので。それでも、戯曲、小説、ショートショート、コント、歌詞、散文、エッセイ、川柳、などなど、山とある(また言った)文章表現において、どの分野も凄い実力者がいるわけだ。既に、先人、パイオニアがいるわけだ。だから、無鉄砲である、何も識らない、初期衝動が大切なのかもしれない。何も識らないからこそ、蛮勇が出来るわけだ。

で、そんなことを考えていると、今度は町田康。すごい装丁だ。目がチカチカする。これは4月に出た本だ。

町田康は歌手から小説家になった。そういう、異業種から異業種、というのはあるけれども、大きく藝術というのは全ての括りの中でかちがたく結びついている。なので、優れたお笑い芸人の又吉直樹さんが、いい小説を書くのは当然のことであり、まぁ、お笑い芸人、それも、コント師であったり、漫才を書ける人は、そりゃあ小説も書けるだろう。コントは、そもそも、フランスの寸劇のことである。日本でお笑いのイメージが強いが、そもそもが、寸劇、つまりは短い劇なので、文章による物語が発端なのだ。

私は、コントと漫才ならば、やはり漫才が好きだ。漫才のリズムと、コントのリズムならば、漫才のリズムが好きだ。漫才は音楽のようだし、やはりネタの運び、ネタの作りが極めて理性的に考えられていて、爆笑へ至る技術や流れに余蘊のない漫才は、聞いていて心地よい。そういうのは、何度も見たくなるし、これはもう、藝術だろう。
漫才にせよ、コントにせよ、いや、漫才の方がより、かもしれないが、落語などの演目同様、同じネタは誰でも出来る、というのがないような気がする。筋立てはあるけれども、やはり、コンビの阿吽が合って完成する、それが他のコンビになると形だけになるような気がする、これは不思議なことで、落語や講談とは異なるような気がしているのだ。いや、識らんけどな。

で、私はヤーレンズが好きなので、今年はヤーレンズを応援したい。いや、去年も応援していた。令和ロマンは嫌いではないが、やはり、ヤーレンズのような、小ボケをマシンガンのように畳み掛ける、積み重ねる笑いが好きなのだ。まぁ、私は、あんまりお笑いに詳しくないので、全員楽しみである。

で、結局何を買ったか、と、いうと、これはもう、ちくま文庫、浅草、映画館。1000円札でお釣りが来るのがウレシイね。10円だ、え、うまい棒も買えないって?

閉館する映画館の話だけど、まぁ、フィルム愛、ピンク映画愛がある感じで、これはもう、買わねばと。

いいなと思ったら応援しよう!