「ありがとん株式会社」
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まゆこはここで働いてもうすぐ1年になる。
ここは少し町はずれにあるビルの5階にある「ありがとん株式会社」。
「お電話ありがとんございます。
ありがとん株式会社です。」
昼下がりの電話に、まゆこが慣れたトーンで電話に出て対応する。
まゆこはあっさり顔で茶髪でピアスが良くにあう23歳。
仕事は真面目にやる。
取引先からの電話だった。
しばらく話をして電話を切る。
「はぁ〜。」
まゆこは、ついため息をはいた。
「どーしたまゆこ、」
香織はパソコンに目をやったまま声をかけた。
「中村くんだったかなぁ?」
「先輩、やっぱりはずかしいです。」
まゆこが言う。
香織がきく。
「なんで?」
まゆこがもう一度ため息をつく。
「大丈夫よ、中村くんは4年もうちを担当してるんだから〜。」
香織が軽く首のストレッチをしながら言う。
「それは知ってます。でもはずかしいんです。」
そう言って椅子からまゆこが立つ。
香織はとっさに、まゆこを見る。
「‥。お手洗いです。行ってきます‥。」
香織の方を向かずにまゆこはドアをあける。
「あーあ、可愛いなまゆこは」
香織が言う。
ドアをしめた時の反動で近くに置いてあったゴリラのぬいぐるみが喋りだす。
「ありがとん、ありがとん」
香織は一瞬だけびっくりした。
会社のイメージキャラクターのゴリ君である。
「‥なんでゴリラやねん‥」
香織が言った。
‥‥‥‥
次の日。
「旦那と元々あわないんです。」
夫、直樹は41歳、同じ学年の42歳の妻の智美が言う。
直樹は接待が多く、それによってここ何年も夫婦仲はよろしくない。
「あいつ、何でも当たり前だと思ってるんです。」
わりと二人はリア充な生活を送ってきた夫婦。
直樹は仕事上顔が広く知り合いもたくさんいる。
もちろん、そのおかげで仕事にプラスにはなっていて智美も理解はしていた。
しかし智美は最近ママ友とケンカをしてムシャクシャしている。
智美が2歳の娘の結菜に哺乳瓶でミルクをあげながら話すのを、まゆこはせっせとメモをする。
まゆこは今日が初めての「CS」だ。
「CS」とは「カウンセラー スタッフ」の略で依頼者のところへ行き、実際に話を聞くスタッフである。
「智美様がこれだけ頑張ってこられて‥、なかなか、大変でございましたね、」
まゆこは話を一旦聴き終わった後にお声かけをする。
「ありがとう、聞いてもらっただけで少しスッキリしたわ」
智美は少し笑顔になった。
結菜はママ達の話に割り込まないように笑顔でミルクを飲む。
「お話をきかせていただきましたので、一度弊社で話し合いをさせていただきます。
また、明日ご連絡をいたします」
まゆこが言う。
智美はお礼を言って玄関先まで見送った。
「失礼いたします。」
まゆこはドアを閉めた。
会社に着く。
「どうだった?」
席に着くなり、香織が明るく声をかける。
「‥緊張しました、。」
まゆこが言う。
「田口さんは、初めてのSCだったみたいだね。」
ふと会議用のテーブルに目をやると、まゆこが気になっているイケメンの中村がいた。
「中村さん」
まゆこはびっくりした。
ちなみに「田口」とはまゆこの苗字である。
まゆこは嬉しくなって中村に聞く。
「弊社で打ち合わせですか?」
うきうき気分を知られないように冷静に‥。
中村が答える。
「そうだよ、永井さんに呼ばれてね」
まゆこは瞬発的に香織を見た。
「永井」とは香織の苗字である。
まゆこに見られて香織は得意の営業スマイルをする。
「直接中村君とお話できて良かった〜流石ね!」
香織が軽く中村の腕に触る。
中村は気づかなかったが、まゆこはその瞬間をしっかりと見ていた。
しばらくして中村は会議の時間がせまってるとかで帰っていく。
「田口さん、頑張ってね」
帰り際、中村が言った言葉がまゆこの中でこだました。
まゆこはしばらくドキドキしていた。
それから、心を落ち着けてから、香織へ今日のCSの報告をする。
「‥妻、智美様は2歳の赤ちゃんの育児もしながら、直樹様へのイライラと、ママ友との行き違いの喧嘩も重なってストレスフルなご様子でした。」
「それで?」
香織が促す。
「きっと子供の前では愚痴を言わないようにしていたと思うんです。でもミルクもあげないといけないし‥」
まゆこが続ける。
「‥それは大変。」
まゆこが話しやすいように香織が相槌をうつ。
「赤ちゃん、‥結菜ちゃんはずっと笑顔でした‥。」
まゆこが帰り際玄関のドアを閉める時まで、ずっと結菜はまゆこに微笑みかけていた。
「まゆこ、ご苦労様。社長に報告するわ。明日の電話は私がするからATはまゆこに任せる。」
香織はまゆこの報告を最後まで真面目に聞いて、そう言った。
ゴリラの人形もまゆこを心配そうに見ている。
次の日
夜の8時すぎだというのに直樹は、駅前にあるスタバでコーヒーを飲みながらパソコンで仕事をしている。
時折、かかってくる電話に対応する。
直樹は口が上手い。
軽いジョークなども織り交ぜながら取引先との会話はいつも楽しげだ。
電話を切ると直樹は大きく深呼吸した。
「ありがとん、ありがとん、」
7、80cmほど離れているであろう隣の席から何か声がした。
ロングのサマーニットカーディガンをにマスクと帽子をつけた怪しげな女のバックから聞こえる。
直樹は少し二度見をしたが、そのまま仕事をする。
しばらくしてまた声がする。
「ありがとん、あ”あ”‥」
女は急いで何かの声がするものの電源を切る。
「‥ごめんなさい。」
直樹に声をかける。
「‥。いえ。」
直樹が答える。
実は直樹に声をかけたのはまゆこだった。
もちろんたまたまではない。
これも仕事のひとつであり、AT(ターゲットへ接近)という業務の一貫だ。
ただし、まゆこは今回現場は初めてなので、ATも初めてである。
「そのぬいぐるみ‥君の?」
まゆこがバックを整理しようと取り出したゴリラのぬいぐるみを見て、直樹が声をかけた。
まゆこが少し考えてうなずく。
「ゴリラなのに、『ありがとん』って‥どう思います?」
何か話しかけなきゃと、ついまゆこは思ったことを聞いてしまう。
直樹は少し笑って答える。
「‥面白い。君なんか変わってるね、なんか、平和でいいね。」
まゆこはチャンスだと思いつかさず聞いた。
「お兄さん、何か平和じゃないことでもあったんですか?」
「‥う〜ん、君まだ20歳くらいだよね。」
直樹が言う。
「32です。」
年上にサバを読んでまゆこが答える。
「えっ、若く見えるね? 彼氏とかっているの?」
直樹が軽く聞く。
「‥。結婚はしてないように見えたんですね、。」
まゆこが皮肉って言う。
「はは、ごめんごめん。」
直樹が笑った。
「でも正解です。‥。お兄さんは奥さんがいるんですね。」
まゆこが言う。
「そうだよ、でも最近は冷えきってるかな‥」
直樹が言う。
「仕事がね、忙しくて‥。家族のために頑張って働いてる上に、家事や育児も手伝ってるのに、‥当たり前みたいに言われて 俺に感謝とかないみたいでさ‥。」
さっき取引先と電話で話していた明るさはなくなり少し悲しそうに直樹が言った。
「君はそんな風にならないように気をつけなよ?」
直樹はまゆこにあまり心配させないように、またニコっと笑って言う。
「ありがとん、お兄さん。」
(ヤバいッ、間違えた)
まゆこは思った。
「ははは、いいね、君」
直樹の携帯に着信がなった。
「おっと上司だ。めんどくせ〜なぁ、ごめん。またね。」
「ヤバイ」という顔をしながら、まゆこに挨拶をして帰る。
帰り際直樹がまゆこに言う。
「妻に今日、ありがとんって言ってみるわ〜」
まゆこはあわてて笑顔で見送った。
そして香織の携帯に報告の電話をする。
「香織先ぱい、今終わったんですけど‥」
まゆこが言う。
「はいは〜い、お疲れさま」
香織が言う。
「‥なんか、」
まゆこが自信なさげに言う。
「うまく行ったのかどうか、わかりません‥」
香織は笑って言う。
「は〜、おもしろっ。わかった、わかった。気をつけて帰ろよ〜」
「何なんですかそれ、」
まゆこが言う。
「あっ、中村くんから着信だわ、ふふふ。じゃあねまゆこ、」
香織がわざと茶化して言う。
「えっ、こんな時間に?(先輩の携帯に??)」
「ピー ピー ピー」
まゆこの動揺をよそに、香織は早々電話を切った。
次の日
まゆこは智美と午後3時に約束をしている。
玄関のチャイムがなる。
「おはようございます、田口さん。 どうぞ入って。」
智美が出迎える。腕には結菜を抱いている。
今日も満面の笑みでまゆこをみる。
「結菜ちゃん、本当に可愛いですね」
まゆこが言う。
「ありがとう、ほらまゆこお姉ちゃんでちゅよ」
智美からは幸せで楽しいオーラが出ている。
「まゆ姉ちゃんでちゅよ-」
まゆこもおちゃらけて答えると、結菜はキャッキャッと喜ぶ。
「田口さんに聞いてほしくて‥」
智美が麦茶をまゆこに出しながら、昨日のことを話し始める。
昨日は直樹が、帰ってすぐに掃除をしてくれたそう。
智美が「ありがとう」と言えないでいると、直樹がふいに「いつもありがとう」と言った。
智美の中で何かがあふれそうになった。
「直樹こそ、いつも大変な思いをして働いてくれて‥」
「智美の理想にしてあげれてなかったらごめんな‥」
直樹が言う。
「いつも大変な思いをして、俺たちの結菜を育ててくれてるんだろうな」
智美が抱えていた全部のストレスが今にも溢れ返りそうになる。
「私も、直樹のこと、理解、できてなかったかも‥」
智美が言う。
直樹は智美を抱きしめた。
智美はしばらく直樹の少し熱めの体温を感じていた。
「ありがとん」
直樹が言った。
そして智美も言った。
「‥ありがとん。」
二人の心のわだかまりが少しずつ溶けていく。
「本当にありがとう。」
説明をしたあと、智美ががまゆこに言った。
「‥どういたしまして。」
まゆこが(良かった)と心から思いながら返した。
「ありがとんって、いうの‥」
不意に智美が言う。
「なんか、可愛いわよね」
「‥はい、‥。」
まゆこは気になったことを智美に聞いてみる。
「あの〜‥こんなこと聞くのおかしいんですけど‥」
智美は顔を少しだけ前にやって「どうしたの?」と言う顔をする。
「最初、『ありがとん株式会社』って、どう思いました?」
まゆこが聞いた。
唐突な問いに、少しびっくりしたがまゆこの真剣な表情を見て、智美が少し考えてから答える。
「ん〜、面白い‥でも変わってる‥って思ったかも、」
「ですよね‥」
まゆこは昨日、聞いたことがある感じがした。
「‥でも、平和で、いい感じ」
智美が言った。
昨日の直樹の言葉を思い出したまゆこは、少し考えて智美に言った。
「智美さん、直樹さんと合わないかもって言ってましたが、私はとても合ってると思います。
本当に‥。」
まゆこの言葉に、智美は嬉しそうに笑った。
それからまゆこと智美はしばらく談笑していた。
そして、ふとまゆこが時計を見ると、5時少し前だった。
「あっもうこんな時間。そろそろ戻らなくちゃ‥(香織先輩に怒られる‥)」
まゆこが言う。
「ごめんなさい。引き留めちゃって‥。田口さんとお話するのが楽しくて‥」
智美が急いで見送りの準備をする。
「田口さん、‥ありがとん」
帰り際も最後に智美が言う。
「ありがとん」
まゆこも言った。
結菜は最後までずっとまゆこに微笑む。
まゆこが風にあたりながら会社への帰路を歩く。
「あ〜、もしかしたら「ありがとん」って、いい言葉かもしれないなぁ」
まゆこの電話がなる。
「まゆこ、大丈夫?」
少し遅くなったまゆこを心配した香織からの電話だ。
「香織先ぱい、遅くなっちゃいました〜。あと10分で会社に着きます」
まゆこが言う。
「わかった、上には伝えとくから‥」
香織は一息ついてまゆこに言う。
心配をしてくれた香織にまゆこは何となく「ありがとん」と言って見ようとした。
「香織先ぱい、ありが‥(とん)‥」
その時、香織の携帯に何かの着信が入る。
「あ、中村君から着信だ‥。んもぅ、ふふふ。じゃまゆこ気をつけてね〜」
そしてすぐ電話がブチっときれる。
それからまゆこはしばらくの間、意識が薄れていた。
しかし何とか取り戻して会社へ帰った。
ありがとん株式会社のお話はまだ続く。
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