「こんな人とは友達になるな」 ( 国も 人も )武田邦彦氏
こんな人が友達にいたら、今すぐ縁を切るべし ・友の条件 2019.4.30
友達とは人生の中で非常に重要な役割を果たす。
小・中学生くらいの時に「心の友」ができる。家が近くてしょっちゅう行き来していたり、家庭環境が似ている場合が多い。そして郷里が一緒なので、長く「郷里が一緒」という体験ができるため仲良くなる。
しかし「友人」とは偶然にできるとは限らないのではないか?
脱亜論 ‥ 150年以上前に福沢諭吉が書いた。
現在の日本と中国との関係が昨日新聞で「おかしいですね」と言ってることと同じ内容が書いてある。とても福沢諭吉の目の鋭さを表す書籍である。
● 「絶対に韓国とシナ(中国)と付き合ってはいけない」
● 友の条件とは2つある。
① 過去は大切にするけれども、過去は過去として処理できる人(国)でなければならない
日本は日清戦争に勝って朝鮮をとったが、本当は取りたくなかったと言ってもいい。
伊藤博文や福沢諭吉が散々言っていたことは「韓国や朝鮮なんかをとったら、絶対に過去のことばっか言うからこじれてダメだ。」ということ。
それは現代を見れば非常にそうであり、現代右の人たちが一生懸命言っている。日本が朝鮮を併合したときは、朝鮮は清(中国)みたいなものだった。朝鮮に一応王朝があったが、日本に比べたらなかったようなものだった。ある意味では「やむおえず」朝鮮を併合した。伊藤博文はやめたほうがいいと言っていたが、殺されたりした。
当時は、帝国主義でロシア・中国と日本とがが争っていた。
中間地点の朝鮮を誰がか取ることになる(ヨーロッパではベルギー、ポーランドがそう)大国の間の小国というのは必要なのである。その人たちが「過去を恨む」と困るのである。過去には過去の事情がある。
福沢諭吉は面白いことを言ってる。「そういう人たち(恨む人たち)は必ずウソをつく」と言っている。
「そうすると世界はどっちが正しいのかわからなくなってしまう」というのである。
周りは、ゴタゴタしているのはわかってもどっちが正しいかわからないのである。
「ウソをつく人とは付き合ってはだめだ。」と言い「ウソをつく人の特徴とは過去にこだわる人だ」とも言っている。確かに、日本に対して「1000年の恨み」など言っている。
「絶対に朝鮮の人たちと付き合ったら、後になったら「日本はひどいことをした」「ひどいことをした」というに決まってる」と言っていた。日本は当国にお金を注ぐのをやめて朝鮮半島に注いだ。名古屋大学は帝国大学にするのを待って、朝鮮に帝国大学を作った。他にも色々したがそれでもダメだった。
過去は過去として大切にするが(伝統として)、過去は過去として考えることができる人というのが友の条件である。
・ だいたい過去は苦しいもの‥。過去には過去のそれなりの事情がある。
・ 過去のことばかり言う人はウソをつく
・ 過去には過去の事情があったと考える人と付き合え。
福沢諭吉に言わせれば「過去の恨みを忘れない人とは友達にはなれない」、そして「ムダだ」ということ。
② 制度・環境・考え方が一緒な人
「徳川幕府のままだったら日本は近代化できない」
日本が、ヨーロッパと友人になるためには徳川幕府のままではダメだった。同じような制度でなければならない。
個人では同じような家庭環境、同じような考え方でなければ友人になりにくい。
綺麗ごとを言えば「誰でも友人になれる」というが、あまりそうでもない。
友人は「心の痛み」などを相互に交い、口に出さなくでもわかるからである。
「中国とは絶対ダメだ」と言ってる意味は、中国は共産主義であり、当時、投票権もなければ、虐殺する人など全然今の日本と違っていた。
「どんなに変でもアメリカとは付き合えるが、中国とはダメだ」と言っている。
福沢諭吉は「ヨーロッパと付き合いたければ、必ず日本が民主主義・資本主義・自由主義にならなければいけない」と言っていた。共産主義・封建主義のままではダメだ、ということである。
友の条件2つは‥
● 過去は大切にするけれども、過去は過去として恨みを残さない人。
● 制度・環境・考え方が基本的には同じ人。
(「心が優しい」とかそういうのでは友達になれない)
あと脱亜論には書いていないのだが、もうひとつあると思う。
● ケンカばかりしている人、平和が好きでニコニコしてる人の2種類
ケンカばかりしている人や国、平和が好きでニコニコしてる人や国、大きく分けて2つあると思う。
韓国や中国はいつも争っていると思う。2000年間争っている。
それに比べ、フィリピンやインドネシアなどは全然争っていない。
争いがあまり好きではない人は、本質的なことがわかっている。
自分の意思を貫いたり、自分が得したいと思うと思うのだが、「そんなことをして争っているよりかは、みんなでニコニコ笑っていたほうがいい」という考えがあるである。
フィリピンに行った時に大きな絵があった。
そこにキリスト教の聖書とイスラム教のコーランが土の上に置いてあり、その上に鳩がとまっている、みんながそれを見てるもので、そこに「なんで争うのかしら?」と書いてある。
フィリピンの人たちは何で争うのかわからなかった。それぞれ立派な聖典を持っているのにお互いを殺し合いばかりしているからである。そういう民族もいる。
福沢諭吉は「近いからといって友達になるな」と言っている。韓国や中国のことである。
友達になるなら争ってばかりの人よりも、平和を愛する人のほうが良いのである。