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岡田斗司夫 水面下で「格差」はどんどん広がっている

https://youtu.be/2XTAeNLhSi0
※ついに始まった※3年前の予想は的中していた。水面下での格差は広がり続けている。これを知っていなければ取り残される。

これね別のところから聞いた話でまた名前は出せないんだけれども、某有名声優さん、CMとかのナレーションとかもやってらっしゃる有名声優さんからお伺いした話です。「絶対自分の名前は出さないでください」と言いながらですね聞いた話なんです。

「評価経済」が本当に近くなってるな」ってオレ実感したんだ。
2年か、3年ぐらい前だったかな「やしきたかじん」さんの番組に出たんだよ、関西のローカル番組で。
そん中で「これからテレビの未来はどうなりますか?」っていうのがアンケートであったんで、僕は今テレビに出ると「出演した人間はギャラがもらえる」だから芸能人とか「お笑い」とか「タレント」とかはギャラがいっぱいもらえて「誰それは年収何億円だ」みたいな話になってるけれども、ああいうのはそんなに長く続かない、と。

どんどんどんどんギャラが下がってきて逆に言えば「お金を出さなければテレビに出れない」時代がやがてくるでしょう、と言ったんだよね。
で、この場合の「やがて」っていうのは、僕がいう「近い将来」っていうのは「5年から15年先ぐらいにそういう風になる」っていう「未来予測」っていうのはそういうふうにやるもんなんだ。
1年、2年先のものではなくて「この趨勢が今後も続けば5年先も10年先にはこういうふうになるだろう」ということで、僕が一応考えた「5年先、15年の未来」っていうのは、自分自身のデビュー作である1993年だったかな?に書いた「僕たちの洗脳社会」っていう本を、まあWebで無料で公開してくれるから見てくれればいいんだけれども、僕が1990年代前半に考えた「これからの社会っていうのは、このようにネットワークが発達してこのようになるでありましょう」っていうのが、まあ自分でいうのもなんだけど、ほぼ、当たってるんだよね。

で、それはあらゆる「思い込み」とか「善悪」というのかな、自分の中の「こうならならなきゃダメだ」とか「これが正しいんだ」っていう思い込みを取っ払って「フラット」な目で見たら「世の中はこうなるのが当然だよ」「当たり前だよ」「それはしょうがないよ」っていう「抵抗できないような大きな歴史的な流れ」と、その中で僕らが生きていくには「どうすれば楽なのか」っていうのを組み合わせたらそんなに「未来予測」っていうのは難しくないんだ。

で、そういう「未来予測」が得意な人、ある程度自分の感情を殺し冷静に判断できる人と、あとそういう感情を乗っけちゃって「いやいや、こうなってくれるに違いない」とか、例えば「オリンピックで金メダルをいくつとってくれる」とかワールドカップでも「日本が何位いける」とか、「楽観的な予想」っていうのは人間に「勇気」をくれるんだけれども、やっぱり「未来予測」には当たらないんだよね。

過剰に否定的な、なんだろう「世界観」もそうなんだけれども、じゃあ冷静にそういうふうに予想できる人と、予想できない人の間に「格差」、僕はこれを「未来格差」というふうに呼んでるんだけれども、実はこれは僕じゃなくて末っ子の「みゆき」っていう「FREEex」のメンバーが考えた言葉なんだ。
オレすごい気に入っててさ。(❤︎ 笑)

こういう「未来格差」っていうのが「これからの人間の生き方」っていうのに大きく左右するな、というふうに思ってるんだけれども、この「未来格差」っていうのが出てくるのがさっき話した「これからテレビに出る人がお金を払う」ようになると、今の芸人さんがものすごいギャラをもらってるっていうのも「過去のもの」になりつつある、っていうふうに僕は考えていて3年前にそれを話したんだ。

で、大阪のローカル番組で何を言ってもいいとはいいながらも、そういう「何を話してもいい」って言ったら「なんとかさん何億円もらってますやん」とか、そういう話は喜ばれるんだけれども、これからは、なんだろうな、「お金を払ってテレビに出るようになる」という、本当にこれまでの概念と全く違う話っていうのはやっぱりあんまり受け入れられなかったんだよね。
だからそういうふうな話をアンケートで答えてて現場でも話したんだけれども割とするーされちゃった。

ところが1年2年ぐらい前から大御所どころの芸能人、芸人さんたちが自分たちのギャラを下げ出すっていう事件が連続して起こったんだよね。
それは「レギュラー番組」を持っていてギャラが上がりすぎると結局番組の改編期に番組を打ち切られやすい、じゃあそれよりはレギュラー番組を1つでも多く持って「影響力」つまり「評価」を持っている方が「ギャラ」「貨幣的な経済で利益を得る」よりはずっと大きい、「評価経済的な利益」を得た方が「貨幣経済的な利益」を得るより「大きい」というふうに、当たり前だけどみんな判断してテレビに出るときのギャラを「ガー」って下げ出したんだよ。

じゃあ「下がったギャラ」がそれで「損をするのか?」というと、結果的にギャラを下げたおかげでレギュラー番組を減らされずに済んで、その結果生まれるいろんな余禄だよね、例えば「CM 」に出る、とか「地方の営業」に行った時に売り上げが全然減らないとか、そういうの含めてみたら、その人たち金銭的に別にギャラを半額にしても貧乏にはならなかったんだ。

ああだから「「出る側」がこぞって自分たちのギャラを下げる」というようなことをやりはじめたのが見えたのが昨年ぐらい。
で、今年になって僕が聞いて驚いたのが、もうあのね、アニメーションで一部の番組では「主役の声優さんが「競り」にかけられている」っていう話を聞いたんだ。
どういう意味かっていうと、びっくりしたんだけども、これね「すべて」のアニメじゃないよ、多分「一部」のアニメだけだけど、ある「アニメ」企画するじゃん、「主役を誰にするのか?」っていうのが「競り」にかけられるんだって、各声優事務所に対して。

それはその「主役の座」を各声優事務所が「いくらで買うか?」なんだよ。
結局「うち10万出します」「20万出します」「100万出します」といって「高いところが競り落とす」。
もちろん声優さんに「ギャラ」も「支払われない」
それよりは「ヒット作」で「声優」で「自分の名前」が出て「メジャータイトル」になれば、その後でいくらでもお金の取り返しようがあるんだ。

つまりもうこうやってもう「テレビに出る」ことに対して「お金を払う」時代になっているってことが、僕らの見えない水面下では徐々に徐々にあることになってきてる。
だから関西の番組で3年前に言ったこと「未来格差」っていうのが今現に起こっているんだなというのがさ、この間それを聞いて「ああそこまできたか」と。

もう「キャスティング」の段階で「オークション」「競り」みたいのがあって、これがまあ「ひどい」って書いてる人もいるんだけれども、オレもう「当たり前のこと」、さっきいった、これを「ひどい」と感じたり「間違っている」と感じていること自体が「未来格差」を生んでしまうと思うんだ。
これは「善悪」じゃないんだ。「善悪」じゃなくて、なんだろう「論理的か、そうでないか」っていうものだと思うんだ。

じゃあこれまでの声優のキャスティングはどうだったのかというと、やっぱりそれは「音響」「監督」の思惑一つ、とかさ、そういうもので決まってたわけだよね。
別にベストの配役で決まってたわけじゃなくて「音響」「監督」の思惑で決まってたのが、最近は、なんだろうな、例えば「スポンサー」、「製作委員会制度」になったから「音響」「監督」の思惑だけで決めれない、というのもあるし、これはもうリスク分担して「誰が製作者なのか」たった一人の責任権限ができないっていう、これも「評価経済的な流れ」だよね。

それと同時に、今言ったように製作費自体がどんどんどんどん高騰化していく、「CG」も入れなきゃいけないし、「絵」も複雑化しいていくし、「シナリオ」にもお金がかかるし「設定」にもお金がかかる。
でも「DVD」売れない、「ブルーレイ」売れない、って僕ら自身が知ってることばかり。

「声優の技術いらない」っていうけどもとんでもない、それは間違っている。
キャスティングを競り落とした事務所の中で一番上手い人がやっぱり声優をやるわけだから、主役クラスをそこで技術が低い人をやってもしょうがないし、大体僕らが見ているテレビアニメの声優さんが技術で上手い順で入ってきているわけないじゃん。

そうじゃなくて、なんだろうな、「流れ」とかあと「運」とか「水面下で決まっている部分」がすごく多いんだよ。
その「水面下」で決まってる部分がある種「明確化」しちゃった、「表面に浮き上がってきちゃった」のがこの「主役のオーディション制度」っていうのかな「オーディション」じゃないな「オーディション」から「オークション制度」へっていう時代の流れになってきたな、というふうに思ったよ。

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