ヒバリ10. 「全員勤労」により『支配』 、『非支配』 はなかった日本 武田邦彦氏
10回目 「全員参加」 2020.8.11
日本人特有の「天皇」・「神」・「男女」という3本の柱
日本は2,000年間、社会には「天皇」「神」「男女」というこの3本の柱があった。
「天皇=国民」 ‥天皇一人が神の子孫。
天皇が指名される内閣総理大臣、(昔の)太政(だじょう)大臣、征夷大将軍は国民より地位が低い。
1人の奴隷も出さずに、奴隷の売買もなく日本が形成された。
日本が出来たのは2,000年前、次に国が出来たのはフランスで1,800年前(ナポレオンの時)である。
「日本の神」
日本以外の国は、お釈迦様、イエス・キリスト、ムハンマドなど(もしくはその父)1人のみを「神」と崇めていた。
日本の場合の神とは「自分や家族を作った人やモノ」である。それは「自然」と「祖先」である。
「お天道様の下ではウソをつかない」。太陽、海、山、川、動物などの自然を甘めく崇拝していた。
そして、「祖先」。自分の親は2人、親の親は4人、親の親の親は8人、‥16‥32‥64‥128‥。
物凄い勢いで祖先は増えていく。日本人はみんな同じ祖先、みんな兄弟であるという認識がある。
さらに「恨みを持って不幸に亡くなった人の怨霊」を緩くしようという気持ちもあって、日本人は、自然と祖先を敬うという傾向にあった。
「男性・女性」
ヨーロッパでは「男が女を所有する」というところから始まっている。
日本は「男性は男性」、「女性は女性」とそれぞれ性格の違う人類である。違うもの、と考えていた。
性格も性能も何もかも違うので、「男女平等」という概念がない。男女平等にしなくてもいい。
どっちが上か下かを追求する必要もなく、男は「男の幸福」、女は「女の幸福」を追求すればいいのである。
それに日本人はいつも国が自分を助けてくれると思っていた。
「全員参加」
天皇は天皇の仕事がある。 国民もそれぞれ(百姓は百姓、商人は商人、武士は武士で)仕事がある。
それを日本全体のために少しずつやるが、他の国は全く違う。「支配層」と「非支配層」しかいない。
中国では8,000万人の共産党員が「支配層」であり、残りの15億人の中国人が「非支配層」である。
アメリカでは1%の金持ち(50%の富を持つ)が「支配層」であり、残りの99%が「非支配層」である。
昔では、ベルサイユ宮殿を持っているゴルゴン家が「支配層」で、国民が「非支配層」であった。
江戸の終わりから明治のはじめにアメリカやヨーロッパから日本に来た人たちがおり、そのときに日本の現状を見て愕然としたという。「大名の屋敷に行ったらみんな貧弱である、ところが農民のところにいくとみんなニコニコしている。これはどうしたことか。」と言ったという。
日本には「支配層」と「非支配層」がいなかった。あえて言えば天皇陛下お一人が「支配層」であり、国民が「非支配層」である。しかし天皇陛下は「自分の子どもは国民だ」と言っているわけなので、「支配層」と言えるのかどうかわからない。
天皇陛下が任命された人たちは、国民よりは「下」である。
そうしていくとどうなるかと言うと、男女も共同して、みんな一生懸命働くようになる。
今の夫婦みたいに「男が働いた」「女が働いた」「どっちが働いた」など、損得がどうだの、台所がどっちがやっただのケチくさいことは言わずに、結婚したら(愛し合ってる男と女であるから)一致協力して得意な分野をやり、お互いの才能を生かし幸福な家庭を作ればいいのである。
そのときに、男が粗暴で、女を叩いてやらせるたり、逆に、女が口が達者で男がいたたまれなくやっている、というのも違う。それは根本が間違っているのではなく、やり方が間違っているのである。
ヨーロッパの個と集団について
キリスト教の中世の歴史があるので、ヨーロッパは個を重視しすぎることがある。
日本の場合は「集団が幸福なら、個も幸福」なのである。それは「個を犠牲にする」ということでもないし、「集団を無視する」ということでもない。「個も集団も大切であり、どっちが上も下もない」ということなのである。
全員が働く
日本人が日本国憲法に無理やり入れた、「勤労の義務」である。
我々は全員がコメを食べなくてはいけない。コメは全員が作るんだ、でも全員がお百姓さんになるわけにはいかないので、他の仕事をする必要があった。
東南アジアに会社で派遣された部長さんや課長さんの奥さんが、日本人くらいの給料があればだいたい、メイドを雇う。しかし、日本の奥さんは自分でも家事をする。メイドがいるにも関わらず、トイレ掃除までしてしまうのでメイドはやることがなくなってしまって困ったということがある。
それは日本人の奥さんは「全員がちゃんと働く」という日本らしい意識を持っていたからである。
日本にずっといる人にはわからないと思うが、海外では「支配層の人」というのはふんぞり返っているだけなのである。アゴで人を使っているだけである。
しかし日本の会社に行ったら、社長も部長もヒラも一生懸命働いているのである。役割は違うが、できるだけ均等に分配する。
高度成長期に会社に勤めていたが、ヒラの給料を1とすると、課長1.2、部長1.6という上限があった。
ヒラに比べて、年収が一番高い人でせいぜい3倍くらいまではいいと思うが、nissanなんかでも、一番下の社員が350万で、ゴーンが14億というのは、もうこれは日本ではない。
日本の会社は従業員が幸せになるために取締役、出資者、株主なんかが頑張るのである。
アメリカ、ヨーロッパなどは、「支配」と「非支配」の世界なので、株主総会が全権を持っている。
株主が社員を所有していると考えるのである。
私は役員会に出たときに、会社に金を貸している銀行の人が来て「株主をもっと大切にしろ」と言われたことがある。私は「株主には大変感謝しているが、うちの会社は社員のためのものであるので、株主のためのものではありません」と言ったら「それは商法に違反します」と言われた。
「それは、商法を変えなければならないものです。日本の商法はアメリカの真似をして作ったからダメなのです」と言った。日本は全部が日本人のためにあって、株主のためにあるものではない。
日本は世界で一番強かった。戦争ではモンゴルを破り、ロシアを破った。産業でも「JAPAN as NO1」と言われ、文化も香っていた。それは日本が全員参加の国であったからである。「支配層」がいいところをとって「非支配層」が恨みを持ちながら仕事をするという国とは全然違う。
いわゆる「共産主義」というのは日本で最初に(2,000年くらい前)成立した。
(まあ、今の共産主義というのは「人殺しをする主義」なので全然違うが‥。)
この「全員参加思想」は、後世に残してかなければならない。「相手が幸福なら自分も幸福になれる」「相手を非難したら自分は幸福にならない」。これを心に留めておいてほしい。