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ブルガリアの航空機メーカー その① 国営航空機工廟「DAR」
※この記事は、個人ウェブサイト( https://pier3.penne.jp/bulavia/top.html )に掲載した記事(https://pier3.penne.jp/bulavia/aflist1.html)を基に執筆したものです。
【国営航空機工廟「DAR」】
ブルガリア語: Държавна аеропланна работилница
1925年設立・1943年操業停止
![](https://assets.st-note.com/img/1706201986018-7rLK7iJfA9.png?width=1200)
ブルガリアの首都・ソフィア市の北東部に位置する街、ボジュリシュテに設けられたメーカーである。
第一次大戦の敗戦により停滞していたブルガリアの国内航空産業であったが、1920年代に入ると再建の機運が高まり、1925年にこの「DAR」が設立された。同年に招聘されたドイツ人技師ヘルマン・ヴィンターの指導により、まずはドイツ製航空機のコピー生産が試みられ、まずは「U-1」(DWC C-Vaのコピー)7機が製造された。
つづいてオリジナル設計機の設計・製造も開始され、1926年には自国オリジナル設計による「DAR-1」初等練習機が初飛行した。しかし、第一次大戦後に結ばれたヌイイ・シュル・セーヌ条約の軍備制限、そして当局の航空産業に対する消極的姿勢により、「DAR」は技術面・規模面の双方において停滞を余儀なくされ、「枯れた」機体性能の練習機を少数生産するにとどまっていた。
1930年代後半になると、空軍が装備の近代化・規模の拡張を志向したことから、「DAR」はより近代的・先進的な機体(DAR-3「ガルヴァン」戦闘機、DAR-10「ベカス」試作襲撃機など)の製造に取り組むようになった。そして1940年代に入り、ブルガリア北西部のロヴェチ市に新たな航空機製造拠点として国営飛行機工場「DSF」が完成すると、「DAR」の技術者や設備は新工場へと移転され、本工場は1943年ごろには操業を停止したとされる。
本工場では、以下の10機種のオリジナル設計機が設計・製造された。
・DAR-1 / 1A 初等練習機(1926~)
・DAR-3 ”ガルヴァン” 戦闘機(試作1927~ 量産1936~)
・DAR-4 輸送機(1930 試作のみ)
・DAR-5 練習機/軽戦闘機(1930 試作のみ)
・DAR-6 / 6A 初等練習機(1931~)
・DAR-7 戦闘機 (1930 ペーパープランのみ)
・DAR-7 SS.1 連絡機(1933 試作のみ)
・DAR-8/8A"スラヴェーイ" 練習機(1937~)
・DAR-9 "シニゲル" 初等練習機(1940~)
・DAR-10A/F"ベカス" 襲撃機/軽爆撃機(1940・1945 試作のみ)
また、オリジナル設計機に加え、外国製機体のコピー生産(U-1およびDAR-2)、そして各種ライセンス生産なども行われた。