自分の弱みと向き合うって最強だよね
自己分析・面接で「弱みは?」と聞かれることがあるんだと思います(まだそんなこと聞かれたことあんまないけど)自分だったらなんていうかな。
自分の弱み
無駄に考えすぎること。
でも結局自分勝手なところ。
やる気が日によって違うこと。
行動力がある時とない時があること。
相手の機嫌をとりすぎちゃうこと。
でもすぐ人と自分を比較してしまうこと。
みんなに好かれたいと思ってしまうこと。
自分を信じれないこと。自分の弱みを隠そうとしてしまうこと。
↑でも自分はできると思ってしまうこと。
たくさん出てきました。もっとあると思います。これだけ聞くと人間失格感ありますね。だって人の機嫌取りたいのに自分勝手なんだよ。こりゃひどいや。
まぁそんなこと言ってますけども、自分も一応どっかにいいところあるでしょと思いながら生きてます。
若林さんのナナメの夕暮れの中にこんなことが書いてありました。
弱みと向き合ったことはあったか?
自分は自分の弱みと向き合ったことはあるか?そもそも自分の弱みと向き合うってどんな状況だ?一番自分と向き合った時間は、受験の時・元カノと別れた時でしょうか?これも、自分の弱みと向き合うというか。「なんで自分はこんなことになったんだ」とかって考えてました。でも、受験の時はなんも考えなくてもやるべきことなんてぽんぽん落ちてきたから簡単ですね。元カノと別れた時は自暴自棄になってて、忘れようとしてたことの方が大きかったかな。だから、しっかり自分の弱みと向き合ったことはないような気がします。自分の記憶では自分の弱みに蓋をすることしかしてないと思います。
弱みに蓋をするために
自分の弱みに蓋をするために人間が良くすることは「他人の悪口」を言うことらしいです。自分は人の悪口をあまり言う方ではないと思ってますが、言ってるのかもしれません。だし、友達と共通の悪口を言っているとそこに謎の絆(一瞬で崩れるけど)が生まれるような感覚はわかります。
人の悪口を言うことで、優位性を確認する。その人よりは優れていると言う感覚を他の人と共有します。でも、こんなことをしているから自分もどこかで悪口を言われているのではないかとめちゃめちゃ心配になります。もうね、本当に怖いのよ。
自分の弱みと向き合わないことが悪いことではないと思います。だし、実際難しすぎて、考えることもできないこともわかります。どうやって向き合うかすらもまだわかってないもん。でも、自分の弱みと向き合わないといけない時期はいつかあるはずです。人生のどん底にいるのであれば、自分の弱さと向き合う必要があると思います。
でも、自分のことを分析することほどエネルギーを使うことはないので、みんな自分の性格をデータや社会に決定してもらいたいのです。「自分の強みはここなんだよ」「あなたの弱みはこれなんだよ」「これからこうしていけばいいんだよ」って。これのほうが楽だもん。社会決定してよ!なんでこういうふうに思うのでしょうか?エネルギーを使う以外のところにこう決断する理由はあるのでしょうか?
なんで自分の弱みと向き合えないの?
自分が複雑だからでしょうか?
自分の中で後ろめたいと思っていることをたくさんしているからでしょうか?
自分の行動は自分が一番知っているからでしょうか?
自分の行動でネガティブなことの方が印象強く見えるからでしょうか?
僕的には3・4番が物凄く大きいかなと考えています。自分の中での理想があると思います。例えばだけど僕の理想はこんな感じ
これはみんなから「バカかよ!」って思われそうなのかな?
「これが理想かよ!簡単じゃねぇか!」って思われる?
「こんなの理想にしてんじゃねぇ!」って思われる?
「こんなのできるの完璧超人だよ!」って思われるのかな?
でも、実際にこんなことできていないのが自分なんです。夜中に映画は見るわ、仕事に集中できる時間が少ないわ、言われたことに集中することもできないわ、自分の好きな人とたくさん会えているわけでもないわ、デジタルから離れられてもいないんです。こりゃひどい。
上の現状はわかっているんです。自分の考えている理想と実際に自分が離れているから、自分に劣等感を感じることが多くなって、その劣等感を隠すために自分を振り返ることができないのかな?
等身大の自分を愛すことからなのか?
上のことを見ると「等身大の自分を愛しな」と人から言われそうです。わかってる。あんな理想に自分はなれないって。わかってるけど等身大の自分は嫌いなんです。
等身大の自分を愛せない→自分の弱みと向き合えない
の順番なのか
自分の弱みと向き合えない→等身大の自分を愛せない
の順番なのか
自分的には後者な気がします。だったら上の「なんで自分の弱みと向き合えないの?」は間違ってるね
SNSと自分
僕の一番の悩みです。これはね、非常にムカつく悩みです。自分と違う境遇にいる人をとても羨ましがってしまうんです。
Case1 自分が働いている時
この時は、Instagramで自分に目がつくのは「友達が遊んでいる」シーンです。人生楽しんでんなぁ。楽しそうだなぁ。仲良さそうだなぁ。と思います。その時自分ができない体験なので、羨ましく思います。
Case2 自分が遊んでいる時
なんとこの時は、「仕事をしている人」「自己投資をしっかりとしている人」を羨ましがってしまうのです。俺はあんま得てるもの何もないけどこの間にもこの人は何か得てるのか…と思います。
弱みではないかもしれないのですが、常に自分の身を置いている状況に劣等感を覚えるんです。自分に対しての劣等感ならまだ健康的だとのことですが、相手に対しての劣等感を抱くんです。なんてめんどくさい人間なんだ。
自分を愛すと言うこと・自分を愛すためには
自分が自分に張っているレッテルに自分が追いつくために苦労する。自分のはったレッテルに劣等感を感じて自分を追い込む。みんなが苦労しているところなのではないだろうか?自分への希望を捨てている人はいるのだろうか?結局期待してしまう節があると思う。
ありのままの自分を愛せ・できない自分を愛せ・できない自分は笑ってもらおう。まだ自分はここまで人ができていない。
自分のやりたいことを素直に理解することから始めるのだろうか?今までの「やりたいこと」って言うものは、本当に自分がやりたかったものなのだろうか?理想的な自分が「やった方がかっこいいよ」って言ってきてやりたいと勝手に思っているだけなのではないだろうか?
自分のやりたいことを素直に考えるためには「自分に自信を持つこと」から始めないとできないのだろうか?
いや、そんなことからはできないのだ。でも今回でものすごく大きいことがわかった。自分が思う「やりたいこと」は、理想の自分がやりたいと思っているものなのかもしれないと言うことだ。これは面白いぞ。理想の自分と現実の自分には乖離があること。受け入れられなくても、認知することから始めよう。