自分が幸福か考えるほど幸福でなくなるジレンマ
I am happily living my life!
って、自然に言える人ってどれくらいいるんだろう。
自分が一番メンタルやられてた時、いわゆるうつになっていた時、どういう考えをしていたかを振り返ってみると、全ての行動を客観視しようとし、この行動は自分を幸せにしているのかばかりを考えていた。
うつの時に何をやり始めたか。
登山を始めた。1人ドライブを始めた。1人電車旅を始めた。ピアノを再び始めた。
動機はなんだったか
うつの状態を抜け出したいことだった。
自分のうつの最終形態
みんな結局自分に興味ないよね。みんな自分が死んでも生きてけるよね。が僕のうつの最終形態だった。(今はそんなことないよ!)
こんな感覚になる理由は、単純に僕が寂しがり屋なのが理由なのではない。これは、自分が他人にあまり興味がないことのブーメランなのだ。
そこまで他人を大切にしたことがない、自分のやりたいことよりも他を優先するという機会を設けてこなかった僕は、逆に周りが自分に興味があることを信じられなかった。
その状態で1人になる機会が多くなると、ここまでいってしまったのだ。
なぜ全部1人の行動だったのか
上のように他人が自分に興味ないと決めつけていた僕は、自分の幸福度を他人に左右されてはいけないと思い込んでしまった。だから、自分1人で自分を楽しませる方法、1人でアクティビティをしてその日「楽しかったな」と心から思えるものを見つけようとした。
全ての行動の結果
今でも続いているアクティビティもあるから、失敗とはいかないが
うつを抜け出す点では「失敗」だった。
なんでだろう。
僕の答えは、「楽しんでるか?」「今自分幸せ?」と自問自答し続けていたから。
山頂に着いた!あー綺麗!今俺幸せ?
ドライブで鎌倉まできた!ドライブ楽しい!今幸せかな?
みたいに、楽しんでた自分を突き放す自問自答をしていた。
この自問自答は最悪で、素直になれなくさせる。大きくて本音になれないフィルター、レンズをかけられるような感覚だ。
この自問自答は、友達と遊んでる時にもくる
これがいっちゃん最悪。
普段自問自答しすぎて友達といる時にも考えてしまうのだ。
これが来るともう楽しめない。無になる。話聞けなくなる。愛想笑いになる。喋れなくなる。ひどいもんだ。
多分本当に幸せな時、楽しい時って気付いてない
これまでに人生で幸せだった時を思い浮かべると、何個か出てくるけどその中で、その出来事中に「楽しいなぁ」って思ってることってあんまない。
気づけるとどんなにいいことかって思うんだけど、気づけないから幸せってずっと追いかけられるのかなと思った。
僕の好きな考え方
東海オンエアの46道府県旅行の旅-佐賀編-の虫眼鏡さんの概要欄にすごい共感しています
僕は常時幸せになる方法を探してたけど、それは間違ってたのかもなと。
犬飼えば常時幸せになれるかも、彼女がいれば、子供がいれば…と考えていた時期もありました。でも、そう寄りすがるように考えている限り多分うまくいかない。常時幸せになることはあんまないのかなと思えるようになった。これは僕からしたら大きな一歩だったんです。
他人に自分の幸福度を委ねることを許した僕
これだけ聞くとなんか傲慢ですね。違うよ。そんなことないよ。
人がいないと生きていけないんだ。友達が必要なんだ。
一緒にいたいんだ。と表現を素直にするように心がけてみた。
そうすると、自分も他の人に興味が湧くようになってきたし、友達も自分のことを気にかけてくれてるんだと気づくことができるようになりました。
前作った「1人で生きづらい」っていうnoteに書いてあったことを見返してみましょう
割と今と考え方は似てるか。
素直になっても、みんなが離れてくことはありません。そこに気づけたことは大きな収穫だったかn。
自分の弱いところ、自分の恥ずかしいところを出しても、みんなが嘲笑することはありません。逆に近づいてくれます。ここに気づけたのも大きかった。遅いけどね。
ずっとこのメンタルが続くとは思わないけど、またメンタルダウンした時はこのnoteみよっと。
ps. 俺へ
インスタとかに出てくる、家綺麗にして、ちゃんとご飯作って、仕事して、筋トレそれで充実した感じ出してる動画とかあるけど、あんなの俺できないから諦めた方がいいよ。
でも、みんなからはできそうとか思われてそうだから、もっと弱みさらけ出した方がいいよ(いや、できないやろって思った人いたら恥ずかしい)