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白い生き物を飼ってはいけない「野栗大権現」とは
横瀬町苅米にある野栗大権現。
タブー伝説(鶴の恩返しのように〇〇してはいけない)話は多い。
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野栗については、栗の木に関するものかは不明だが、韓国語の狸を「のぐり」という説がある。
栗の字は、黒い実のクミが有力な説だが、栗の漢字は「毬(いが)」を表す象形文字からきている。
このあたりに住む家では、
「白い動物を飼ってはいけない」との言い伝えが残っている。
例えば、
①上杉憲政が戦勝参り時、社を焼き払う。
戦に勝てば立派な社を建てると約束した。
その時に白馬に乗って来たので白い動物は飼わない。
早道場は憲政が急いで通った所と伝える。
②野栗大権現の周りや自分の家では白い生き物を飼ってはいけない。
③「代々白い動物を飼ってはいけない」
上杉憲政が根古屋城に居り、平景光の軍に破れ敗走する時、白馬にのって越後へいったことによる。
川中島の戦いで武田信玄と上杉謙信の騎馬軍団による言い伝えのよう。
武田軍についた武士出身者が鉢形城~横瀬に移り住んだ事により、このような言い伝えが残っている。
※上杉謙信は白駒、武田信玄は黒駒
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野栗大権現は、皆野町と大滝にもあり、皆野町日野沢にも「根古屋」橋がある。ここは金崎神社があり、ご祭神は知知夫神。
知知夫彦の墓も伝わっており大きな銀杏の木のそばにある。また金崎神社の東側に、以前は「野栗三社権現」があったと史料に残されている。
大滝には千島家が多いと知人から聞いたことがあった。
埼玉県の名字を調べることができるネットの情報から、野栗権現社の神主が千島家であった。場所は荒川贄川町(贄川町近くの山々:三峰口駅から)
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秩父往還沿いにある贄川町は、戦国時代より前から住んでいた逸見家がいる。逸見家はこの村の長だったようで、逸見蔵人という人は甲斐武田氏の家臣だった。
また逸見家は北条氏邦に仕え、鉢形城(寄居)を守ることになり、落城後皆野へ移り野栗大権現を祀ったといわれる。贄川町も江戸後期、絹や紙、米殻が発展した。
横瀬町の根古屋城には、北条氏邦の家臣であった阿左美家がいた。
阿左美氏は武蔵七党の系図に入り、児玉郡出身。
児玉には金鑽(かなさな)神社があり、その側に居を構えていた。
落城後、横瀬町、皆野町にとどまり農民になったり寺(札所)を開いたり地域に貢献していたようだ。
ちなみに、札所34番水潜寺は、阿左美氏館跡として残る。
また阿左美は浅見と同じ系譜であり、浅見伊賀守慶延は、根古屋絹を作り、後の秩父銘仙の基礎を作った人でもある。
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野栗大権現からこの橋まで白馬が駈け下りたと伝わる。
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大滝、皆野、横瀬町と野栗大権現が祀られているのは、武田家の家臣として仕えた氏族が移り住み信仰したことによるだろう。
上杉謙信は関東官領といって鎌倉を統治していた。
上杉に対する備えとして古御嶽城跡は根古屋城の見張り台の役目をしていたのかもしれない。
鎌倉~飯能~名栗~横瀬と入ってくる道をふさぐ役目。
また、所沢市の狭山湖に根古屋城(竜谷城)があり、名栗にも根古屋城跡がある。
武田軍は馬を使ったネットワークが上手だったという。
飛脚というのではなく、「早馬(はやま)」といって馬にのって情報伝達する。その早馬は、それ以前の関東平家が使った通信手段でもあった。
↓ 気仙沼早馬神社(はやま)は、「葉山(羽山)」がルーツかも?
参考記事