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第16回 日本仏教について想う。
親族の一人が亡くなり、改めて、日本仏教の現状について考えています。
新型コロナで亡くなったわけではないのですが、葬儀・火葬・法事の様式がこれまでとはがらりと変わり、人数を制限され少人数の家族葬にならざるを得ず、仏教(僧侶)が関与する場面が少なくなっています。
そして、それでも特に不都合・不満は生じないことに、皆が気付き始めているのです。
地域・血縁・世間体等の様々な因習から解放された、仏教抜きの葬儀が、新たなトレンドになるような気がします。
これまでも、人口の急激な減少により、山間部の寺院を中心に無住(職)となる寺院が増えていましたが、これからは都市部の寺院でも、同じような事が起こるのではないでしょうか。
日本では、観光名所と言われるような、仏教文化遺産の寺院しか生き残れないのかもしれません。
般若心経のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」を翻訳し、釈尊の直説と言われている最古の仏教経典「スッタニパータ」を精読した後に葬儀を経験してみて、葬式仏教と揶揄(やゆ)される日本の仏教は、釈尊の「悟り」・「教え」とはいかに掛け離れたものになっているか、その落差に驚くばかりです。
スッタニパータには、繰り返し繰り返し、輪廻転生(りんねてんしょう)のことが書かれています。
死ぬまでに輪廻の流れから解脱(げだつ)できなかったら、次の生を受け(=来世に生まれ)、何度も何度も苦の連鎖を続けることになる、ということが説かれているのです。
「私は、お墓の中にはいません」という歌が、数年前に大流行しました。
スッタニパータ等の経典を読むと至極当たり前のことに思えるのですが、日本仏教では、盆や彼岸にお墓の前でお参りをしたり、一周忌や三回忌等何十年にも渡って法事をします。
死者の魂はどこかでうろついていて、いつまでも次の生に転生しないのでしょうか? 又、どこかに転生している先祖の魂は、その肉体を抜け出して、お墓の中や仏壇の中に帰ってくるのでしょうか?
理解に苦しむことばかりです。
スッタニパータの「第1章 四 田を耕すパーラドヴァージャ」の一節に、「詩を唱えて(報酬として)得たものを、私(釈尊)は食うてはならない。」と言って、施与された「お粥(おかゆ)」を田んぼの中に捨てさせる場面があります。
(出家者は)報酬としての施与を受けてはならない、というのが釈尊の教えなのです。
有名な経文なので、仏教者なら誰でも知っているはずです。
ただ、お布施は気持ちの発露(はつろ)であり、労働に対する対価(報酬)ではない、というのが葬儀関連の法事に参加する仏教者側の見解のようですが・・・。
そもそも、釈尊在世時のインドでは、どんな葬儀が行われていたのでしょうか?
スッタニパータの「第1章 十一 勝利」に、次のような記述があります。(「ブッダのことば」中村元訳 岩波文庫より引用)
《200詩 また身体が死んで臥(が)するときには、膨(ふく)れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。》
《201詩 犬や野狐や狼や爬虫類がこれを喰らい、鳥や鷲やその他の生き物が、これを啄(ついば)む。》
つまり、バラモン(司祭者)階級やクシャトリヤ(武士)階級等の一部の人々を除く、大多数の一般庶民は、死んだら墓場に棄てられていたのです。
日本でも、中世の戦国時代には同様のことが行われていたことが、歴史書に残されています。
皆貧乏だったということもあるでしょうが、当時の一般庶民は、死後の肉体には何の価値や未練も見出してはいなかったのです。まさに、抜け殻(がら)です。
ところが日本では、中世の戦乱も収まり安定した世の中になり庶民の生活レベルが上がった江戸時代以降、寺院を中心とした檀家(だんか)制度が始まり、日本独自の冠婚葬祭システムが確立し現在に至っています。
しかし、盤石(ばんじゃく)と思われていたそのシステムも、第二次大戦後、人口の急激な移動により揺らぎだし、今回のコロナ禍により、根底から一気に覆(くつが)えされようとしています。
仏教=葬式のイメージが余りにも強く浸透しすぎた日本仏教に、葬式から切り離された後、果たして何が残るのでしょうか?
苦境にあえぐ産業界だけでなく、日本仏教界にも、重い課題が突きつけられているように思います。
杞憂(きゆう)に過ぎなければよいのですが・・・。