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第5回 「あの世」と「涅槃(ねはん)」、似て非なるもの。
我々日本人は、あまり信仰心はないのに、なんとなく「あの世」や「来世(らいせ)」を信じていて、涅槃や極楽浄土、さらにキリスト教の天国を、ごっちゃにしているところがあります。
「あの世」や「来世」は、輪廻・転生と密接に関係する概念です。輪廻・転生がなければ、「あの世」や「来世」を想定しても、まったく意味がありません。
「あの世」や「来世」は、実際に存在するのでしょうか。そして、それは、涅槃(ニルヴァーナ)と同じものなのでしょうか?
第3回で、釈尊は輪廻・転生の存在を説いていた、と問題提起しました。今回は、それを前提にして、考えてみたいと思います。
世界中のすべての宗教が、経典・聖書などで、人々の生活態度・行動を規制しているのは、死んだ後の続きがあることを前提にしているからです。続きがなければ、人々は、好き勝手に生きるだけです。
その続きとなるのが、「あの世」や「来世」という呼び名で呼ばれている世界です。
「あの世」とは、仏教の世界観で言う、「地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・天」の六つの世界、そして、西方極楽世界、東方浄瑠璃世界等の無数の世界を言います。
今、人間として生まれている存在は、この人生で解脱(げだつ)して仏陀にならない限り、肉体の死後、「あの世」のどれかの世界に生まれ変わる、というのが輪廻の思想です。
では、解脱して仏陀となった釈尊のような存在は、肉体の死後、どこへ行くのでしょうか。
その行き着く先が、涅槃(ニルヴァーナ)と呼ばれている世界です。
「あの世」と「涅槃(ニルヴァーナ)」は、まったく異なる世界なのです。
「あの世」と「涅槃(ニルヴァーナ)」の関係は、釈尊が問われることなく自ら説いたという、「自説経」の中で説かれています。
「自説経」によると、「あの世」は、「涅槃(ニルヴァーナ)」の中に形成されている世界なのです。
「あの世」に往くのは簡単です。死ねば、ほぼ全員が往くところですから。
しかし、「涅槃(ニルヴァーナ)」に往くのは、かなり難しそうです。
そもそも釈尊が説いた教えの根幹は、肉体の死と共に、アートマン(我)が涅槃(ニルヴァーナ)に赴くための、方法と手段を明示することにある、と私は思っています。
釈尊は、諸々の欲望を否定・抑制することによって、その目的が達成できることを説きました。
しかし、仏教の最終段階である後期密教では、意外なことに、欲望を肯定・促進することによって、同じ目標に到達できることを説いています。
同じ仏教の系譜で、正反対の教えが説かれていることに驚きますが、このプロジェクトでは、釈尊が実践し証得した教えを探求したいと思います。