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第2回 「般若心経」は、正しく翻訳されているか?
「般若心経」といえば、日本では、玄奘訳「般若波羅密多心経」のことを指します。なかには、これが「般若心経」の原典だと思っている人もいるくらいです。
解説本・注釈本も、この玄奘訳「般若心経」に対して書かれているのが大半です。
何が書いてあるのかさっぱり分からないながら、有難いお経だということで、写経の場では一番人気です。
「般若心経」は、インドの言語であるサンスクリット語で書かれた原文を、漢語に翻訳したものだということは、仏教界では周知の事実です。そして、法隆寺に伝わる「法隆寺貝葉写本」がそのサンスクリット原文であることも、昔からよく知られていました。
サンスクリット原文から直接現代日本語に翻訳したテキストも、1960年に刊行されています。(「般若心経・金剛般若経」中村元・紀野一義訳註 岩波文庫)
にもかかわらず、それ以降も、「般若心経」に関する解説本・注釈本は、次々と出版され続けています。
漢訳でわずか300字足らずの「般若心経」に、なぜこれほど多くの解説本・注釈本が出版され続けるのでしょうか?
私は、多種多様な解説本・注釈本が出続ける原因は、サンスクリット原文から漢語や日本語に翻訳するときに、翻訳間違いをして、正しく翻訳されていないためではないかと考えました。
そこで、「法隆寺貝葉写本」の現代日本語訳に、挑戦したのです。
一度も習ったことのない、サンスクリット語原文の翻訳は、困難な仕事ではありました。しかし、今では、インターネットで調べれば、大抵のことは分かるのです。
紆余曲折しながら、「法隆寺貝葉写本」全文を現代日本語に翻訳してみたところ、玄奘訳「般若心経」とは、まるで異なる内容の翻訳文が出来上がりました。
詳細な翻訳過程は、2019年2月刊行のキンドル版電子書籍、「般若心経VSサンスクリット原文」をご覧いただくとして、ここでは、翻訳結果だけをご紹介します。
下記翻訳では、原文「プラジュニャーパーラミター(漢訳で般若波羅密多)」を「到彼岸瞑想行(とうひがんめいそうぎょう)」、「ニルヴァーナ(漢訳で涅槃)」を「彼岸世界」と日本語訳しています。
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「法隆寺貝葉写本」の現代日本語訳
全てを覚智する御方に礼し奉る
自在主を観じることを極める求道者がいる。
到彼岸瞑想行では、不可思議な動きをする移動可能な意識(魂)を、必ず、分離・離脱して認知する。
分散して諸世界がある。
そして、それら自身の存在形態が実体を欠いているのを、必ず、意識(魂)で知覚する。
彼岸世界では、シャーリプトゥラよ
大世界は、微細世界の形態で存在する。微細世界は、まさに、大世界なのである。
微細世界は、大世界と異ならない。大世界は、微細世界と異ならない。
大世界であるところのもの、それが、微細世界になる(変化する)のであり、微細世界であるところのもの、それが、大世界になる(変化する)のである。
受・想・行・識も、まさに、このようにある。
彼岸世界では、シャーリプトゥラよ
全ての存在するもの(諸世界)は、微細世界の形態をしている。
探知されない。限定されない。不透明でも透明でもない。
減ることはない。満杯になることもない。
それゆえに、シャーリプトゥラよ
(諸世界は)微細世界モードだから
色がない。受がない。想がない。行がない。識がない。
眼・耳・鼻・舌・身・意がない。
色・声・香・味・触・法がない。
眼界がない。さらに、意界がない。
明(悟りの世界)がない。非明(迷いの世界)がない。明(悟りの世界)が消失することがない。非明(迷いの世界)が消失することがない。さらに、経時変化がない。経時変化が消失することがない。
苦(=世界)・集・滅・道がない。
煩悩が滅却し、五感が滅却すれば
求道者(が実践するところ)の到彼岸瞑想行は、補助されることなく、心を覆うものを取り去る 。
心を覆うものが存在しないから、(身体に)拘束されることなく、(心が)トリップ状態になる。
(トリップして)到達したニルヴァーナには
(過去・未来・現在の)三世に飛び飛びに誕生する、全ての仏陀がいる。
到彼岸瞑想行は、補助されることなく、無上正等覚、完全な悟りへと導く。
ゆえに知るべし
到彼岸瞑想行は、偉大な行法であり、偉大な明(悟り)の行法である。
無上の行法であり、無比の行法であり、全ての苦を制するものである。
宗教的瞑想である到彼岸瞑想行は、本当に、(心身を)損ねることなく、解脱に至る行法である。
然れば
(意識・魂が)到達するとき、到達するとき、彼岸に到達するとき、彼岸に完全に到達するとき、悟りがある。
成就あれ!
到彼岸瞑想行伝授式、終了。