![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32679414/rectangle_large_type_2_a4578fe1c18803b498aaf147bc5d06d8.png?width=1200)
第3回 「人生は、一度限り」って、本当ですか?
最近、メディアの記事で、「一度限りの人生・・・」という言葉を、よく目にします。人生は、本当に、一度限りなのでしょうか?
仏教では、輪廻(りんね)という言葉を、よく使います。輪廻・転生(りんね・てんしょう)という場合もあります。
人間は、何度も何度も、生まれ変わり死に変わりを繰り返しているという概念です。
私は、輪廻の思想は、仏教の基本的な教えの一つだと思っています。
しかし、「人生は一度限りではない・・・」という積極的な反論を、仏教界・仏教者から聞いたことがありません。
最近社会問題になっている安楽死をめぐる問題に対しても、人生が一度限りの場合と、そうでない場合とでは、対応に違いが出てくると思うのですが・・・。
科学技術万能の世の中になり、科学の力でエビデンス(根拠・証拠)を提示できない現象・事象は、妄想・幻覚・迷信だとして排斥される傾向にあります。輪廻・転生もそうです。
仏教界の中にも、釈尊は輪廻を説かなかった、と主張する人がいるそうです。
詳しい論拠は分かりませんが、輪廻・転生の前提なしに、仏教の教理、釈尊の教えを理解することはできるのでしょうか?
釈尊在世時の仏教を復元するためには、釈尊は、輪廻・転生に対して、どのように説いていたのかを知る必要があります。
最古の経典で、釈尊の直説を伝えているという「スッタニパータ」には、輪廻・転生の有無についての、直接的な表現は見当たりません。
しかし、輪廻・転生の存在を間接的に示唆している、次のような表現が見られます。(「ブッダのことば」 中村元訳 岩波文庫 から引用)
第1 蛇の章
「この世とかの世をともに捨て去る」
「この世からかの世に赴いたとき」
「来世に至って憂えることがない」
第2 小なる章
「再び世に戻ってくるな」
第3 大いなる章
「正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる」
「迷いの世の再生を滅ぼしつくした人」
「輪廻を超えて完全な者となり」
「前世の生涯を知り」
「再生の素因を作るな」
「くり返し生死輪廻に赴く人々は」
「迷いの生存に戻らない」
「輪廻を超えることがない」
「再びこの世の生存に戻ってくる」
等々です。
私は、苦しみの再生産である輪廻・転生があるからこそ、仏教という宗教が生まれたのではないか、と思うのですが・・・。