遠隔で学ぶことも含まれた学校〜オンライン学習の気づき10〜
リモート学習をしていると、改めて学校の在り方について考えさせられる。
「学校は、こどもや保護者の伴走をする機関なんだなぁ」とか。
「今まで学校という場所というものに、すごくこだわっていたんだなぁ」とか。
今はコロナの影響で、強制的に学校という場所へのこだわりを手放さざるを得ない状況になった。
リモート学習を1ヶ月やってみて思うのは、こういう学び方もあってもいいということ。
例えば、プロジェクトの時間に、家の庭づくりをするなんて今まであり得なかった。身近な部分を自分の力で変えていくのはとても素敵なことだと思う。
帰りのミーティングに公園から参加することなんてなかった。「今日はザリガニこんなに捕まえた!」とか「ここの池でつかまえた!」などというやりとりは今までの学習の中では生まれなかったものだろう。
プロジェクトも、周りの人の刺激が少ないからこそ、自分のプロジェクトに集中しやすいという部分もある。ことばかずも同じ。周りに流されがちな人からすると、家の方がやりやすいということもあるだろう。
良さも感じると同時に、リモートの限界も感じる。観察の限界。共に手作業でつくるというつながりは生まれないこと。
ただ、コロナの影響が終わった後、完全にこの学び方を手放して元どおりの学校に戻るのかということについては、一度立ち止まって考えたいなぁと思う。
今まで通り学校に通うことが前提の学習がしんどかった人だっているだろう。オンライン学習なら参加できる人だっている。
自分に鞭打って学校に行くくらいなら、リモートでもいいと思うし、週5日同じ場所に行き続けるのも改めて考えると不自然な感じがする。
ポストコロナの学校の在り方として問われるのは、「遠隔で学ぶこともどこまで学校として含んでいけるのか?」ということだと思う。
合理的配慮の一つとして、そういうことも選択肢として含んでいけるのか。
低学年のうちは、家庭学習だと保護者の負担が多いことや、リモートでの学びをサポートする上で重要になってくるITリテラシーの低さから、ある程度リアルで会ってやりとりする方がいいと思うけど、高学年、中学生になったら遠隔で学ぶこともあってもいいんじゃないかと思う。
そうすると、フリースクールならぬ、スクールフリーな感じ。
学校という範囲がどんどん社会へ広がっていくイメージ。
個別な活動はいいけど、リアルでいることと、リモートで参加する人がいて、どう共同的な活動をやっていくのかとか、具体的に検討が必要なところはあるけど、「遠隔で学ぶことも含まれた学校」もあっていいと思うし、可能性も感じる今日この頃。