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対話とは合意を求めることではありません〜ともにいる力を育む〜


「対話とは合意を求めるものではありません。」

デンマークで移民系女性として初の国会議員になったウツレムさんの言葉。

「わたしたちは偏見を無くしたいと願っています。そしてそのためにもっとも効果的なことは、対話と寛容さです。ですから、意見が異なる者同士が対等に対話できる力を養っていくことがわたしたちの課題です。対話とは、ときに批判や困難を伴うものでもあります。それは当然でしょう。同意できなかったり、対立してしまうこともあるでしょうが、それを避けようとしてはいけません。溝を掘り合うのではなく、むしろ民主的に解決する方法を模索しながら、不和も受け入れ、それに向き合っていく。そんな力をつけていくのです。」

自分の中で改めてテーマとして浮かび上がってきている「ともにいる力」。あえて「ともにいる」だけでなく、そこにはいろんな鍛えていくトレーニングが必要だという意味で「ともにいる力」としたいと思う。

ともにいるのが難しいと自分が感じているとき、きっと自分もその相手に対して何か差別的な見方をしてしまっているのだと思う。

そういう見方をしているときは自分は無自覚のうちに殻に閉じこもっている。殻の中から相手のことを考えたりしてもネガティブなフィルターを通して相手を見たままになってしまう。

大事なことは、殻にとじこもっていることに気づき、その殻から出て、相手の顔を見て話をすること。

以前、自分も主催しているイベントの参加者の態度が気に食わなくて、後日一緒にご飯を食べに行って「実はあなたのことがなんか上から目線な感じがして嫌なんです」と正直に話したことがある。

今思うとよくその人は受け入れてくれたなと思うけど、自分の話を聞いてくれて、「俺は上下の感覚は思ったことがなくて、むしろぶっきーの方に上下の強い感覚があるんじゃないか」と言ってくれた。

それは嫌味な感じじゃなくて、すっと「確かにそうかも。」と自分の差別意識に気づかせてくれた言葉だった。

それが、自分があえて苦手だなとか嫌だなと思う人と話すことにチャレンジすることに価値を感じるようになった原体験。

そういう人との出会いこそ、自分が思ってないところに自分を成長させてくれる。
他者への眼差しはそのまま自分への眼差しであるから、他者を許せるようになると、より自分のことも深く受容できるようになる。

こういう器を広げてくれる人との出会いはたまにある。自分のともにいられる人が増えるチャレンジだと思って、耳を傾けてみよう。

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