秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記④
前回の記事↓のつづき。
金澤八幡宮 一の鳥居 急坂上に立つ。
眼下にはドンと並んだ9本の梵天(ぼんでん、と濁る)
今や遅しと、押し合いの始まりを待つ。
自然と「早ぐやろで(早くやりましょう)」なんて口から出たりして。
長男はもう少し上にある遥拝殿のところでケツ滑りをして遊んでいる。初めてこの祭事を見ることになる彼には、まだ親父が何をそんなにも目を輝かせて待っているのかが分からないのだろう。
(今に目にモノ見せてやるわい)
なんて思ったりして更に待っていると、なんと、南からもう1本梵天が現れたではないか。
進行役みたいな人(以前はそんな人はいなかった)が、「ようやく全部揃いました」的なことを言って、何やらこれから始まる雰囲気になった。
……しまった。やはり事前情報通り奉納は10本で合っていたじゃあないか。今更集合写真の撮影に戻るにも、長男がゴネるに決まってて戻れないわー。
ってことで、結局、成り行きをそのまま上から見守った。(写真は後で妹から貰えた)
秋田の梵天は幣束(ご幣)が大型化した物と言われている。
かの伊達政宗公の幼名は梵天丸で、そのいわれは、母の義姫が夢で白髪の僧より幣束(=梵天)を授かった=政宗を授かったことによる、とする説があるのだとか。なるほど、梵天とは幣束のことね。
(梵天とは何かについては、後日もっと詳しく掘り下げたい)
梵天の最上部の飾りを見て欲しい。これは頭飾りと呼ばれていて、金沢の梵天の伝統的な形は緑色の のぼり旗を3本上げた物と言われている。(これを称して芭蕉の葉、という)
昔は頭飾りはほとんど芭蕉の葉だけだったと聞いたが、私が物心ついた頃には、すでに今のような感じだった。というのは、具体的にいうと、芭蕉の葉の梵天は2,3本くらいで、あとはその年の干支にちなんだものが多く、その中でもキャラ物とか、町章を込めているとか各団体の個性がにじみ出る、といったふうだ。
旭岡山神社の梵天など、コンクール形式を取る梵天行事がいくつかあるが、金沢の梵天は見た目を競うということはしないので、純粋に作り手の気持ちが頭飾りとして現れているのが尊い。
今年は辰年ということで、龍をモチーフとした頭飾りが多かったが、1番人気はやはり「LEDでドレスアップしたガチャピン」だったろう。息子もいたく喜んでいた。さすが茨島(ガチャピン梵天を奉納する地区。毎年有名キャラ物を頭飾りにしている)だと頭が下がる。さりとて、笹竜胆も二つ巴も芭蕉の葉も渋くて好みだし、「みんな違ってみんないい」状態だ。
話を戻そう。
梵天が集まったら、今度は梵天唄が始まったんだけど、これがまあ、カッコいいったらありゃしなかった。
この梵天唄、「金沢の梵天」では、1人の歌手が独唱し、周りは、唄の途中途中に合いの手を入れるのだが、今年は大鳥居を背景に10本の梵天を従えた歌い手が朗々と歌い上げ、その唄に全参加者が合いの手を入れるという形式で、その「ハア〜」っていう低い声が、自分が聞いてきた中でも間違いなく最高に迫力があって素晴らしかったし、是非正面で聞きたかった。
(来年は俺が唄ってやりてえって思うほどだった)
↓唄のシーン。録画が遅れて、ホントに記録程度です(汗)
唄が終わるとまた、進行役的な人が出てきて、「始めるからスペース取ってね(意訳)」的なことを言うと、観客が鳥居前からぐっと下がり、そこに梵天が散っていった。
いよいよ、始まる!
胸が、最高に高まる。
宮城を出てから6時間あまり。いよいよ、6年ぶりに大好きな金沢の梵天の押し合いを目の当たりに出来る。
振り返れば、前回の通常開催は長女が産まれてすぐのため参加できなかった。その後はコロナ禍に襲われ開催すらされず、昨年の縮小開催にも参加(観覧)を見合わせた過去がある。
長かった。
1番の障害である妻は、方便を駆使して何とか乗り越えた。(梵天を待つ間、LINEで娘とランチを楽しんでる写真を送ってきたりした。怒ってはいないらしい)
手強かった。
しかし、そんな積年のいろんな鬱憤を晴らす、最高の時間が、さあ、始まる。
(つづく)
観覧記①はこちら↓
観覧記②はこちら↓
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