秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記①
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という有名な詩の1節がある。
冒頭のこの1節ばかり有名で、美しい故郷を偲ぶ詩かと勘違いされることも多いが、その後に「例え落ちぶれても帰る所じゃない」(意訳)と続くのだ、と長じてから知った。
作者の室生犀星はそう思って自分を励ましたのかも知れないけど、俺にとって故郷は、いつだって、飛んで帰りたい唯一無二の場所だ。
犀星の故郷は石川の金沢(かなざわ)、俺の故郷は秋田の金沢(かねざわ)。
三つ子の魂百までも、とはよく言ったもの。小さい頃からのお祭好きの血はいくつになっても変わらない。地元で1番賑わう祭り(=金沢の梵天・ぼんでん)がコロナ禍以来4年ぶりの通常規模の開催と聞けば、今住んでいる宮城県から馳せ参じたいとの願いがふつふつふつと湧き上がる。
時は令和6年。奇跡の三連休と謳われた2月2度目の3連休の中日、2/24(土)。
この旅の1番の障壁である、俺の梵天愛に全く理解の無い妻には、鉄道好きな長男をだしに、連休ついでに長男とこまちに乗って秋田に帰省するよ―とだけ言い残して、早朝宮城を発った。(嘘はついていない!)
異様に雪の少ない2月の車窓を眺めたり、地元の「道の駅美郷」さんがXに上げたガチャピン梵天(!)の映像に心を踊らせたりしながら、約2時間半で大曲駅に着いた。仙台近郊に住むようになってから初めて鉄路で秋田に帰ったが、実家までなら自家用車のほうが早く着くんだって初めて知った。
そこから家族の車の乗り換え、結局実家に着いたのは正午前だった。
実家はお祭りのメイン会場(=金澤八幡宮 一の鳥居)から徒歩5分。家までの道すがらには、2,3本の梵天を見て興奮するなどした。
秋田県には雄物川水系流域を中心に、梵天(ぼんでん、と濁る)と呼ばれる祭具を神社に奉納する祭礼がいくつもあるが、その中でも金沢の梵天は奉納時間が比較的遅い。(多くは午前中、金沢は午後2時から3時位。観光客にも優しいね)
他方、奉納団体は朝早くから、金沢地区の家々に門付して梵天を披露する「まわり梵天」を行う。
家々をまわり、予祝・寿ぎの歌(=梵天唄という)を唄ったり、お神酒を振る舞ったりし、ご祝儀をいただくのだ。
家に帰る途中に見られた梵天は、奉納のために神社へ向かうものではなく、この「まわり梵天」の最中のもの。
幼い頃には、雪に閉ざされた山あいの我が家で、お昼ご飯を食べたりなんかしてる時に、風に乗って法螺貝の音がなんとなく聞こえてきて、梵天唄の声が家の方に少しずつ近づいてくると、なんとも言えなく胸が高まったものだった。
そして、その気持ちは今もなお変わらない。
回ってきたぼんでんを見上げて頬を緩めつつ思うのだ。
「いや、梵天めっちゃかっこいいじゃん。」って。
(②につづく)
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