人間をやるのは何回目
こんばんは、とべかえるです。
小さな子どもとかかわる機会があると、私は「この子が人間をやるのは何回目なのだろうか」と想像することがある。仮に私たちの命に前世があったとして、「人間の生を受けたのは実はこれが初めてじゃないんです」なんてことを言いだしそうな、最初から何かを悟ったような子どもは少なからず存在する。
ショッピングモールのキッズスペース。
カラーボールのプールに飛び込んだり、滑り台を争ったりする子どもたちがたくさん。そういう子たちは、毎日がほしいもの、やりたいことの連続で、そこに驚きや喜び、悲しみが伴っているよう。きっと、初めて人間として生まれてきて、抑えきれない感情があるんだろうな。
他方、キッズスペースで「自由に遊んでいいんだよ」と親に言われたのに不自由そうにしている子どもは、きっとこれまでに人生を何回か経験している。「子ども=元気」という一般イメージが、面倒で息苦しいなと感じているはず。
そう言うのは、私が後者だったから。
夢とか好きな事を聞かれるのがめんどうだったら、「自分は枯れているんだ」と最初から開き直ることもできる。
それでも、本当に枯れ切っているわけはなくって、
それぞれに大事にしたいことは少しだけある。きっと。
どこかの子どもでも、大人でも、自分の事でも、
人間を何回やっていようが、誰かの「大事」は見逃したくないなと。
23/1/2 とべかえる
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