ぼーっとする場所
私には、何かの区切りがつくと足を運ぶ場所があります。
それは、干潟。
私が暮らす名古屋には、「藤前干潟(ふじまえひがた)」と言われる場所があります。
一般的には「ラムサール条約登録湿地」として紹介されますが、名古屋に長く暮らす人でも、なかなか訪れない場所かもしれません。
私は数年に一度くらいの頻度でこの干潟へ「ぼーっとしに行く」ことがあります。
その内実はといえば、野鳥観察館というこじんまりした建物のなかで、干潟に集まる鳥や景色を眺めて過ごします。鳥の種類や生態にそれほど詳しいわけではありませんが。
穏やかに晴れた先日も、私は背中を丸めて窓の外に広がる干潟を眺めていました。
ぼーっとしながら浮かんだのは、「なにが私をここへ連れてくるのか」という問い。
鳥に詳しくなりたいとか誰かに発信したいという思いはありません。それでもなぜ私は定期的にここにやってきて、ぼーっとしたいと思えるのか(実際にぼーっとできるのか)。
問いに答えようと思うと、単純なかかわりというイメージが立ち上がりました。
お名前を呼ぶ以外に言葉が見つからないので、「ある方」と書きます。その方は、誰よりも藤前干潟の鳥に詳しく、その施設のスタッフで、かつ、80歳を過ぎた今も現役で野鳥を数え続ける調査者でもあります。
10歳ごろ、私は何かのきっかけでバードウォッチングに興味を持ち、休日のたびにこの干潟にいる、この方のところへ通った時期がありました。
一人で乗った電車の「あおなみ線」は、当時まだ開通したばかりで、干潟までの道のりを含めて楽しい時間でした。
「お元気ですか」「また背が伸びたんじゃないですか」「今日はどんな鳥がいますか」
この方とはお互いに二、三の言葉を交わすだけで、当時もいまも、立ち入った会話は生まれそうにありません。
でも、私はそれで良かったりします。
シンプルで、それ以上の意図を持たないような、そんなかかわり。「ぼーっとしに行く」時の私には、そんな場所と人とのかかわりのなかに落ち着く感覚があります。
特にどうってことのない、ちょっと変わった私の場所のお話でした。
23/2/25
とべかえる
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