みんな仲良く、ひとりぼっち(1/2)
帰り道にふと考える、とべかえるです。
もう真っ暗じゃん、ちょっと前までは明るかったのに。
秋の空気は好きだけど、あっという間に日が暮れるのが
なんとも惜しい。
みんな仲良く、ひとりぼっち。
人間関係が嫌になった、とかではなくて、
お互いの価値観や違いを大事にしましょうと言われる世の中だもの。
突き詰めると、自分の永遠の味方は自分だけ。
でも振り返ると、ひとりぼっちだとしても、
「一緒に頑張ろう」って声をかけてくれる人がいた気がする。
身近なところにも、ラジオの向こうにも。
それって誰なんだろう。
なぜこんな話をしたかというと、
ちょっとだけ先の将来について考えてみたいからです。
もっと言うと、皆さんが「この先、誰と生きていくのか」を知りたいからです。
今回は、これから私がやっていきたいことを整理するためのnoteです(2回に分けます)。
よその「井の中」をのぞいてみたい
自分探し、、、?
ビジネスを少し向こうに置いたあとに残るもの
自主企画:「かえるとーく」やります
1. よその「井の中」をのぞいてみたい
難しい言葉ですけれど、、、
しょせん僕らは井の中のかわず。
だからこそ、「時々ふと立ち止まって周りを見渡してみなよ」という意味で、お世話になった先輩が私にくれたコメントです。
常に世の中を気にしていなくてもいいけれど、
日々の身近な人間関係の外側にも、
楽しみや別の正解がたくさんあるはず。
わくわく。
他方、正直に言えば、いまの場所で
住みにくさが高じている面もあります。
この3年ほど勤め、会社の仕事はできるようになってきました。
ただ、できるようになった分だけ、どうしようもない「わかり合えなさ」に気づいたり、やり場のない感情を抱えることは増えました。
(自分がそう感じる一方で、ずっと同じ輪のなかで仕事を続けられるひとは尊い、と心から思っています。)
新しい楽しみを見つける意味でも、
今の環境を変える意味でも、
私はほかの井戸でも暮らしてみたいな。
そんな感覚が、この半年くらい、
ずっと続いています。
2. 自分探し、、、?
よその井の中をのぞいてみたい、とわたしは言いました。その気持ちって、たぶん、世の中に対する、以下のような疑問から生まれているんじゃないかと思うんです。
この数十年、わたしたちの生きている社会は、どんどん、ばらばらになってきたらしい。(先日、3歳半の姪っ子が、「ぼくらは~もとめるものも~えがいてるみらいもちがうけれど~」とYOASOBIを歌っていたのが驚きでした。笑)
それは人の価値観やそのまとまりを、昔のようにはっきりとは把握できない、ということ。
みんな違ってみんな良い、といえばそうだけど。
そんななか、誰が自分の味方(われわれ)なのか。
自分の立場に迷う、現在のマジョリティのことを「さまよう主体」(稲葉,2016)と表す方もいます。
なるほど。
みんな揃って自分探し、的なね。
そうなると、、、
よく言われるのがボランティア活動の例。
社会に何か働きかけようとか、良くしようとトライしてるように見えても、
実は、自分的に意味を見つけたらそれでいいや、って。
でも、ほんとうにそれだけなのかなあ。
みんなそれぞれ違う、ということのその先に、
あるいは、その後ろに、
もう少し人間らしい関わり合いやストーリーが
生まれたり、すでにあるような気がする。
もう少し自分のできる範囲に
問題を絞って考えなきゃ。
(つづく、はず)
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