最近読んだ本のこと
こんばんは、とべかえるです。
いつまで経っても自分が初心者のままのような気がすることって、よくある。仕事でも趣味でも。「自分は詳しいですよー」なんて胸を張れる分野って、そうそうない。
私にとって、「社会学」という学問が、そんな存在の一つです。
大学、大学院と学んだのに、「社会学ってこういうものなのだよ」と誰かに説明できるほどの自信がありません。
でも、自分の中で一番好きだなと思える学問も、どうやら社会学のようで。だから、会社員をやっている今でも、時々、本を開きたくなる。
今回は、最近わたしが読んだ本のお話を手短にします。こんなマイナーnoteを読んでくれている、とてもとてもありがたい読者の方の、学び直しや読書のきっかけの一つになればうれしく思います。(書評をするつもりはないので、理論的にどうとかいう難しい話はナシです。)
稲葉振一郎, 2009, 社会学入門〈多元化する時代〉をどう捉えるか
その言葉すら聞いたことない人には難しいですが、社会学についてぼんやり興味を持った人、社会学を1回学んだけれどもう一回学び直したいという人にとっては、良い味方になってくれる本です。
何かを勉強していても、学んでいる対象の全体像が見えないと、うまくいかない事って多くないですか?
社会学を語ることのむずかしさって、そこに一因があって、理論体系がバラバラで、全体像の共通理解があまりはっきりしない。その意味で、この本は一つの全体像を説明してくれているので、とりあえず良い味方になってくれるわけです。
本書では、経済学が個人とその合理性をベースに世の中を捉えるのに対して、社会学は個人の中ではなく、その間で共有される「形式」を問う学問である、という比較説明がされています。シンプルですが、大事な全体像の一つだと思います。
「形式」って何の話?ってなるので、私なりに引き寄せてみます。
60年ほど前、高度経済成長の光と影のうち、影の部分。日本に新幹線が初めて開通したときのことです。
新幹線が走り始めると、沿線住民は、地震並みの振動と、会話できないほどの騒音被害にあいます。「新幹線公害」と言われています。
テレビが映らないことから、病人が寝られないことや、妊婦の流産まで。沿線に住む人たちは、自分の困りごとを互いに共有し始めます。そうすると、一人ひとりの個人的な困りごとや悩みが「沿線住民」の声としてまとまります。その結果、法整備が進むだけでなく、鉄道側の技術開発も促されました。
簡単に書きましたが、その過程には、沿線住民や協力者の一人ひとりが、運動や訴訟で広い社会に対してはたらき掛けをした一方で、それに共感し、応える社会が、当時そこにあったわけです。
当時、「形式」を問う社会学は、受益圏・受苦圏という考え方を用いて、たまたま被害が生じたのではなく、高度経済成長当時の社会のメカニズム(構造)から生じた問題であることを明らかにし、世論形成に大きな役割を果たしました。
引き寄せた話が長くなりました。
まとめると、社会学のアイデンティティって、一人ひとりの感情とか決断を、より広い世の中の動きと関連付けて捉え直すこと。より良く捉え直すために、様々な概念を考えたり、その正しさを検討したりすること。「形式を問う」って、これに近い気がします。
自分の関心がどこにあるのか、言葉にしていく努力を続けなきゃなー、と思った29歳の8月でした。
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ちなみに、新幹線の近くに開通当時から住んでいる方に、話を聞いたことがあります。
「こんな生活をねえ、ずーっと死ぬまでね。朝6時20何分に上りが行くでしょう、東京に。そいで目が覚めるし。逃れられない。家を移さない限り、ここにおる以上ね。だから心の修行と一緒よ。」
いまや何か補償があるわけでもなく、負担が大きいばかりなのに、訴訟当時の原告団として今も関係者と協議し、騒音測定活動などに従事する方です。ヒアリングを振り返りながら、こういう人の心を動かす仕組みはどこにあるのか、どんな形で広がっているのか、探っていきたい。そうやって、ともに生きるヒントをつくりたいなとぼんやり考えています。
とべかえる
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