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オンラインサロンオーナー豆知識【インターネット事始め】

オンラインサロンを運営しているものとして、インターネットや、それにかかわる巨大企業に関するいわゆる「トリビア」について、知っておいて損はありませんよね。

今回はそんなトリビアの一つとして、そもそも人間社会にインターネットが生まれた当初の出来事や、関わった重要人物についてなぞっていきます。

大量のデータを転送する方法

「インターネットは、もともとアメリカの軍事研究が生み出した軍事用技術なんだよ」…こんなお話を耳にしたことがないでしょうか。

このお話は、全くの間違い…というわけではないのですが、もう少し詳しく見ていきましょう。

時は1967年にさかのぼります。米国国防総省傘下の組織高等研究計画局が、広く国内の大学の研究室に一般公募して資金を提供し、データ通信に関する新しい技術を開発させようとしたことが、現在のインターネット網を生み出したきっかけです。

この資金提供により、1962年から高等研究計画局の研究部門部長を務めていたJ・C・Rリックライダー氏の構想としてもともとあったコンピュータネットワークシステムのアイデアが、豊富な資金とともに多くの研究者たちの間で共有され、1969年、世界初のパケット通信を使用した複数のコンピューター間でのデータ通信を可能にしたARPANETという形となって具現化しました。

こうした経緯から人々の間には、インターネットはもともと軍事の為の研究だった、またそこから派生して、世界が核戦争の炎でおおわれてしまっても、大切なデータをへき地へ転送して守るために開発されたものだ、などというまことしやかな噂が生まれているのですが、実際には、先に述べたように、確かに米国国防省の傘下組織の資金提供で開発が進んだものであるとはいえ、そこまで具体的に戦争用の技術として特化して構想されてきた経緯はない、とのことです。

あくまでも、大量のデータを異なるコンピューター同士で共有するにはどうすればよいか、それを研究しているときに生まれた、パケット通信という新しい技術がその始まりだという事になります。

世界的通信ネットワークの生みの親、 J・C・Rリックライダー

いまのインターネットの具体的な姿のほとんどすべてが、1963年 J・C・Rリックライダー 氏が同僚と共有したアイデアメモに記されていると言っても過言ではないというのですから、彼の思想が後世に与えた影響は計り知れないものがあります。

彼は当時確かに国防総省の傘下の組織で働いてはいましたが、直接的に戦場で使用されることを想定したシステム開発にはかかわっていなかったそうです。

実際の「軍備」からはかなり離れた後方で、研究者たちが互いのデータや研究結果をできるだけタイムラグなしに、しかも、常に更新をしながら共有できる方法はないか…あくまでも、研究している人間同士の知の共有に関してのアイデアだったそう。何となくホッとしてしまうエピソードですね。

1967年、アイデアメモをもとにリックライダーはテレビを「放送」ではなく、双方向通信ネットワークとして利用する構想を論文にまとめ、発表します。

こうしたリックライダーの思想をもとに、60年代冷戦の時代の国家間技術競争の過熱が後押しし、多大な資金が次々に優れた研究者たちへと投入されていくという恵まれた環境が、論文発表からわずか2年後の ARPANET 誕生へと繋がり、今のインターネットの礎を築いていきました。

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