"ぼっち"がかわいそう→かっこいいに変わるのはいつだろう?と考えたハナシ
こんにちは。就労継続支援ビルドの秋田です。
利用者のレイさん(仮名)が「バーをテーマにしようと思う」と作成してくれた今回のヘッダー画像です。
バーで、一人グラスを傾ける姿ってかっこいいですよね。
秋田もそんな大人になりたかったです(過去形)。
行きつけのお店を作りたくて、家の近くのお店に通うようにしてみたりした時期もありましたが、全然うまくいきませんでしたね。
カフェで一人で過ごすのは大好きです。
さて
子どもの頃はグループに属していないとすごく居心地悪いと思うのですが、一人で過ごすことや周囲の目を気にせずに済むようになるのには、どういった要因があるのか考えてみました。
静かな雰囲気のバーでは、グループでガヤガヤ騒ぐよりも一人で過ごすほうが合っているように思いますよね。
1人でいることを「ぼっち」と言うのか言わないのかは、ほとんど主観の問題です。
ネット検索すると「一匹狼タイプはモテる」とか「群れない生き方」という形でむしろ推奨されている雰囲気すらあります。
物語の世界でも、一人でいるタイプはかっこいい存在として描かれることが多いように思います。
よくある構図だと、仲間に調子を合わせて愛想よく過ごしている主人公が、一見浮いているように見えるクラスメイトとひょんなことから触れ合うようになり変化していく……というような描き方がされますよね。
実は、ぼっち=かわいそう じゃなくて ぼっち=かっこいい なんじゃないか?と思いませんか?
一方で一匹狼タイプの人はルールに縛られない生き方…実は社会的には"はぐれもの"なのではないか?という見方もできます。
辞書を引くと
ひとり‐ぼっち【独りぼっち】
仲間や頼る人などがいなくて、ただひとりであること。
いっぴき‐おおかみ〔‐おほかみ〕【一匹×狼】
《群れを離れて1匹だけで生きている狼の意から》組織の力に頼らないで、自分の力だけで行動する人。
と出てきます。
一人で行動することに変わりはありませんが
自らの意思かそうでないかによって変わるような印象ですね。
友達が欲しいのにできない。→ひとりぼっち
属するコミュニティはあるけれども、あえて離れて存在する。→一匹狼
という感じでしょうか。
気付いたら孤立していた人と、自分で付き合う相手を選んでいる人とでは印象が変わるのが当然ですね。
友達欲しい!と言っている人より、誰かと無理に交わろうとせずに孤高の存在でいるほうが実は周りに人が集まってくることも多いようで…不思議です。
小学校~高校の、集団行動を求められる場面では、一人になりたくても一人になりづらい雰囲気があるように思います。
一人でいると「かわいそうな子」扱いされたり
なんとなくグループに属していないといけないような気になったり
コミュニティの文化、ルールがそう思わせているのでしょうね。
大学など、決められた居場所が無くて自由に過ごしても良い場面が増えてくると、そもそも一人でいるかどうかを気にする人自体が少なくなりますので一人でいたい・群れたくないタイプにとっては少し生きやすくなります。
子どもの頃は、個人の趣味嗜好よりも住んでいるかや、生まれた年に合わせた集団であることが多いです。
大人に近づいていくにつれて、学力が近いとか興味のある分野が似ている人と接する機会が増えますし、自分でコミュニティを選べるようになって関わる人の年齢や属性が多様化していきますね。
このような流れで、ぼっちは一匹狼に変容していくのかもしれません。
結局、主観と環境が作っている価値観という部分がすごく大きいので
「人の意見に流されすぎず、我が道を行く自分かっこいい!」という価値観で行動できるだけで気持ちが変わっていきそうですね!
友達がいないといけない、などといった固定のコミュニティの固まった考えから離れることそのものが一匹狼なのかもしれません。