NFTアートを始めたのはささやかな勘違いから✨
今から15年前、私は絵を描くのを辞めました。
いつの間にか、絵を描くことは目的ではなく手段になってしまいました。楽しかったはずなのに。
絵を描くことが好き、楽しい、きっと自分は周りの誰よりも絵が上手い🎶
そんなふうに思ったのは小学一年生の頃です。
ドラえもんの絵描き歌を使えば誰でもドラえもんを書ける。
そんな中、私はのび太を描いたのです。
私にとってそれは革命的な出来事で、人生初のアドバンテージでした。
図工で書いた絵が入選したり、褒められたり、自己肯定感爆上がりな小学生時代でしたが、それはふとしたことで終わりを迎えます。
机に山のように積まれた自主学習課題をよそに、コソコソ絵を描いていたら親に見つかり、目の前で破り捨てられました。
大作だったのに。(当時としては)
その日から「絵を描くこと=悪いこと」へと認識が変わり、悪いことを影でコソコソ楽しむというオタク根性丸出しのスタンスになりました。
技術の授業も美術の授業も好きだったのに、まるで主張のない必要最低限の作品を提出していたため、成績は5段階評価の2。
本気を出した作品を否定されるのが恐かった一方で、コソコソとイラストや漫画を描く活動は続いていました。
高校生になると全く絵を書かなくりました。
勢いと衝動だけで体操競技部に入ったためです。
今まで文化会系の部活しか入ったことがなかったのに。
それまで影でコソコソ絵を描くとこしかできない人間でしたが、心の片隅にはアクションヒーローへの憧れがありました。
ここに行けば、きっとヒーローになれる!
そんなミーハーな気持ちで体操部の門を叩くも、そこは運動部の中でも一番厳しいとされるガチな集団でした。
文化会系の私には想像を絶しました。
絵を書くどころか寝る時間も不十分、授業中にとったノートの量は一年間で15ページ。
人生で初めて赤点というものを貰いました。
通知表が本当に二色刷りになる事実に感動(やや意味不明ですが)。
とにかく部活以外の時間は可能な限り寝る&食べる。
そんな脳筋な3年間、イラスト・アニメ部に入った友人はメキメキと実力をつけ、部を代表する絵描きになっていました。
私は・・・規定演技をこなすのがやっとのヘッポコ選手でした。
大学に入り、北海道の地で一人暮らし。
自由だーーーーっ!!
ゲーム!ゲーム!ゲーム!ゲーム!
マンガにせよゲームにせよ、禁止されすぎると反動でダメな大人になるという悪いモデルケースだったと思います。
そんな自由すぎる生活の中、友人の下宿で同人誌と出会います。
プロじゃないのにこんなに上手いの?
自費出版?
どこで売ってんのコレ?
もっと読みたい!
そんな同人誌にまみれているなか、史上最強のナコルル作家と呼ばれる七瀬葵先生の作品に出会います。
美しく強い主張、こんな絵を描けるようになりたい。
描けるようになれるのならば、自分の絵なんか要らない。
模写模写模写模写模写模写模写模写模写もしゃーーーーっ。
努力の末・・・、努力は実りませんでした。
出来の悪い偽物を大量生産しただけでした。
それでも、カラーインキに挑戦したり、画材を買い漁ったり、それなりに楽しんでいました。
就職して地元に帰ってくるも、コソコソと絵を書く活動は続きました。
七瀬先生愛をこじらせて粘着質になっていた私は、先生の個人誌の奥付に手紙を送ります。
七瀬先生にお会いできる機会はありませんか?
一歩間違えればストーカーになりそうな勢いですが、あれ程に繊細な絵と魅力的なストーリーを作り出せる人物に憧れていました。
ダメ元で出した手紙でしたが、まさかのお返事が。
サンクリにいらっしゃい。
!?
サンクリに行けば七瀬先生にお会いできる!
サンクリだ!
さんくり
ってなんやねん・・・?
(つづく)