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「サッカーをやりきれなかったことは死ぬ間際まで残る後悔」広告プロダクションの代表がサッカークラブを設立した理由

美容系クリエイターのプロデュースやキャスティング、企業のSNSやYouTubeのマーケティング支援などを手掛けるbuggy株式会社

公式noteでは、代表を務める関根(@mu41208)と、buggyに関わるさまざまなゲストが対談する企画を実施しています。

今回のゲストは、SaaS事業やコンテンツプロダクション事業を手がける株式会社アステルの代表であり、サッカークラブチーム「KONOSU CITY FOOTBALL CLUB」の副理事を務める髙橋悠さん

buggy株式会社はKONOSU CITY FOOTBALL CLUBのオフィシャルパートナーであり、関根と髙橋さんは幼馴染でもあります。

会社経営とサッカークラブ運営の両立というエリートビジネスマンとも言える肩書きを持つ高橋さんですが、これまでにサッカー選手の夢を諦めたり、二度の大学受験失敗をしたりした苦い経験も味わっているのだとか。

そんな髙橋さんが、会社経営やサッカークラブ運営に至るまでの経歴や理由を紐解きます。

髙橋悠 / 株式会社アステル 代表取締役・KONOSU CITY FOOTBALL CLUB 副理事
学習院大学法学部を卒業後、WEBベンチャー企業(ファインズ)へ就職し、SEMやCRMツール、広告コンテンツの制作に関する営業を経験。2015年1月から個人事業主として営業活動とWEBサイトのソースコードを書く傍ら、SNSマーケティングサービスを展開。

2015年7月にアステルを創業し、日本で最もハッシュタグマーケティングを行う会社としてJリーグチームやBリーグ開幕に際してのキャンペーン設計等、数多くのプロジェクトを担当。その後、広告コンテンツプロダクションとして国や地方自治体、ナショナルクライアントを含む数多くの案件を受託。今後は東京とバンコクを中心にBPO事業を展開していく。
株式会社アステル:https://aster-inc.co.jp/
KONOSU CITY FOOTBALL CLUB:https://konosucityfootballclub.com/

関根貴大 / buggy株式会社 代表
新卒で大手PR会社ベクトルグループのPR TIMESに入社、MVPを獲得。その後TWIN PLANETグループの子会社を創業、国内最大級のインフルエンサーマッチングプラットフォームの立ち上げ。2019年8月、FIREBUGの戦略子会社としてbuggyを創業、エンタメ領域のDX推進に従事。2022年3月、buggyをMBO、現在は美容領域のクリエイター支援やIPプロデュース、企業のSNSやYouTubeのマーケティング支援をしている。
buggy:http://buggy.tokyo/ 
Twitter:https://twitter.com/mu41208

サッカーと勉強、2度の挫折を経て起業へ

関根:悠くん(髙橋)は俺よりひとつ年下だけど、埼玉の実家が近かったんだよね。小学校から大学までずっと同じ学校で、部活も同じ。俺がいつも悠くんに「とりあえずこれやってみよう、手伝ってよ」と言っている関係(笑)。

髙橋:そうそう。それは今も変わらないですね。

関根:では改めて、これまでの経歴をお願いします。

髙橋:中学生まではずっと本気でサッカーをやっていて、埼玉県中から上手い選手が集まるチームに所属していました。300人中40人しか選ばれないようなセレクションに通過しないと入れないようなところで。

関根:そんなハイレベルのセレクション通ったんだ!?

髙橋:そうなんです。僕は小学生の頃から「将来の夢はサッカー選手」と言っていたんです。

でも、中学1年生でそのチームに入団したときに周りの熱量がすごくて「僕は本気で『サッカー選手になりたい』と言えてなかったんだな」と気づいて。他のメンバーは全国大会優勝や日本代表になることを本気で目指していて、「すごいチームに入ってしまった」と思いました。

関根:周りとの熱量の差を感じたと。

髙橋:それでもみんなについていこうとサッカーを頑張っていたんですけど、中1の夏に怪我でボールが蹴れなくなってしまったんです。サッカーの上達に大きく影響する時期というのもあって、復帰した秋には他のメンバーとの実力差を感じて「もう無理かも」と思い、勉強に逃げ始めました。

現役プロサッカー選手の原口元気選手が当時小学4年生で同じ系列のクラブに所属していたのですが、その頃から上手くて。「こういう選手がプロになるんだろうな、俺にはできない」と思っていました。

関根:実際に、原口元気選手は現役の日本代表として活躍してるもんね。

髙橋:その後はプロになることを諦めて、クラブチームも辞めてしまって。学校の部活でサッカーを楽しむことにしました。

関根:そのサッカー部の部長が俺で。悠くんは入ってきたときは上手かったけど、一緒にやっているうちに俺らと同じレベルになるんだよね(笑)。

悠くんを見て、環境で人が変わることを学んだ。俺は「気持ちでは負けない」「誰よりも足を動かす」というチーム設計をしていたから、「どのようにメンバーのテンションを下げずにやっていくか」をすごく考えてた。

髙橋:高校では遊びまくる日々を過ごしていたので、高校入学時は70近くあった偏差値が高3の夏には32まで下がっていたんですよね。

それから大学受験の勉強を始めたのですが、大学は慶應か早稲田しか受けないと決めていたので、見事に浪人することにすることになって。最終的に2浪して入ったのが、学習院大学。サッカーに続いて勉強でも挫折したんですよね。

関根:俺は高校の途中でサッカー部を辞めてフットサル部で遊んでいたから「関根先輩みたいにはなりたくない」って言ってたのに、結局同じ大学という(笑)。

髙橋:大学では「サークルには絶対入らない」と思っていたんですけど、関根さんから「大学生活で何かアドバイスするとしたらサークルは絶対入ったほうがいい、放送研究部に入ろうよ」と言われて入部したんですよね。

関根:動画制作をする部活で、いわゆるYouTuberみたいなことをやっていたよね。当時はまだYouTuberがいなかった時代だけど、俺らもヒカキンやコムドットみたいになってた可能性があると思う(笑)。

髙橋:当時はYouTubeなどにアップすることはせず、ただ仲間内で楽しむための動画でしたもんね。

関根:大学卒業後の進路はどうやって決めたの?

髙橋:サッカー選手を諦めた15歳頃からは、「お金持ちになりたいから社長を目指そう」と思うようになったんですよ。

だからお金を稼ぐ能力を身につけるために、ベンチャー企業の営業職に就きました。約2年のサラリーマンと半年間の個人事業主を経て、2015年に株式会社アステルを設立して今に至ります。

サッカーをやりきれなかった後悔からクラブチームを設立

関根:サッカーチーム「KONOSU CITY FOOTBALL CLUB」を立ち上げた経緯は?

髙橋:中学時代に数ヶ月サッカーができなくなったくらいでプロになるという夢を諦めてしまった自分が、死ぬ間際まで残る後悔といえば、やっぱりサッカーをやりきれなかったことだと思ったんですよね。

プロになれなかったとしても、最後まで突き詰めて頑張っていた人は社会人になっても楽しそうにサッカーを続けてますし。だから僕はプロになるためのメソッドは教えられないけど、楽しく続けるためのマインドを教えられたらと思ったんです。

関根:なるほどね。チーム代表の小島さんとの繋がりは?

髙橋:小島は地元の少年団のサッカーコーチを10年以上やっている人なのですが、公務員として働きながらチームを運営されていたので経営は詳しくない状態だったんです。

一方で僕は社長として経営の知見はあるけどチーム運営ついてはわからないことが多かった。だから、それぞれの強みを活かして一緒にやろうとなりました。

関根:業務の分担はどうしてるの?

髙橋:現場は小島に任せていて、セールスやマーケティング、PRなどのビジネス面は僕が担当しています。

関根:自分の会社の経営も大事な時期だと思うけど、それでも今サッカーチームの運営を今やる理由は何?

髙橋:「これをやらないと死ねないこと」を10個考えたときに、「サッカーチームを軸にした地域経済の活性」が思い浮かんだんです。そのためには、やっぱりJリーグへの参入が必要だと思ったのですが、加入には最短でも10年かかると思っていて...。だから34歳の今始めても、早くて44歳。

髙橋:これまでも小学生向けのサッカースクールや大会を手がけることはあったのですが、社会人チームに強い選手が集まったことも重なって、「サッカー事業を伸ばすなら今だ」と思い、本格化することにしました。

そうそう、僕はホリエモンの提唱する「桃太郎理論」が好きなんです。

関根:桃太郎理論って何!?

髙橋:桃太郎に出てくる、おばあさんが川に流れてきた大きな桃を持って帰って割る行為って、よく考えたら異常行動なんですよ(笑)。普通の人なら怖がって持ち帰らないから。

関根:おばあさんは、みんなが見逃してしまっていた桃というチャンスを手にしたわけだ。

髙橋:そうです。だから正直お金やリソースのことを考えるとサッカーは今やるべきことではないんですけど、これはチャンスだと思って取り組んでいますね。

関根:ある種の逆張りでもあるよね。他の人がやらないようなことを行動に移せる人は自然と振り幅ができるから、魅力的になっていく。

髙橋:起業したときもサッカーチームを作ったときも、周りから「勇気あるね」と言われましたけど、勇気は必要ないんですよね。特に26歳で起業したときは、養う家族も社員もいなかったから、失敗したらコンビニで働けばいいと思っていて。死なない程度のリスクを取りながら取り組んできました。

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今回は関根の幼馴染であり、buggyがオフィシャルパートナーを務めるKONOSU CITY FOOTBALL CLUBの副理事でもある髙橋悠さんにこれまでの経歴を伺いました。

プロ選手を諦めた過去を持ちつつも、今なおサッカーに携わり続けるサッカー愛が伝わってきます。

次回も、引き続き髙橋悠さんが登場。サッカーを通じて実現したいことや今後の展望を語っていただきました。ぜひお楽しみに。

<撮影協力>
今回の撮影は渋谷にある隠れ家カフェで本格コーヒーを楽しめるカフェ「Beans Garage Coffee」にご協力いただきました。

<ふたり広報:取材・多葉田愛/執筆・伊藤美咲/編集・えるも/写真・琴>

buggy(バギー)株式会社 〜The Energy Production “buggy”〜
世の中のクリエイターと協力し新たなエネルギーを生み出しそのエネルギーをきっかけに社会との繋がりを広げ、熱量の伝導を後押しするポジティブなエネルギーの総量を増やすことを目指し活動しています。美容に関するIPのプロデュース、クリエイターマネジメント、企業のSNSやYouTubeのマーケティング支援などを手掛けています。
お問合せ/案件のご相談:https://buggy.tokyo/

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