ケニアの夜御前
淀川の河川敷を二人で歩いていた。
今日は朝から梅雨独特の読めない雨がグダグダと降り続いていた。
先程まで喫茶店で雨宿りをしていたのだが、だいぶマシになってきたので散歩と洒落込んだ。
対岸の梅田のビル群は薄く霧がかっており、より一層ディストピア感を醸し出していた。
川沿いを歩こうかとも思ったが、足元には先程の雨の影響で薄い水溜まりがどこまでも続いており、また、いつ雨が降り出すかも判らない雨と雨との合間であるので、断念した。
このまま踵を返して、いつもみたく下らない話しをしながら帰路に着こうとしたが
ふと
なんとなく
ここが分水嶺なのだと直感した。
なんとなく、腑に落ちたのだ。
長年押し殺してしまい、もう原型も留めていなかったグチャグチャの僕のオリジンがこのタイミングで形を取り戻した。
大学の頃よりの友達がいる
出会いから数えるともう6年を超える。
当時は特に若かったこともあるが、お互い人間関係を構築する上での欠陥を抱えていた(もしかしたら現在進行形)ので
初めの1年くらいは可もなく不可もない関わりに留まっていた。
要するにめちゃくちゃ気を遣っていた。
特別彼だから気を遣ったということではなく、あの時期の僕は全人類が敵だと思っていた。
とにかく思春期をめちゃくちゃ拗らせていた。
そんな中、1人の軟弱男児が現れた。
汝軟弱、故に良いやつの彼は瞬く間に僕たちの広すぎる不可侵領域を取っ払ってしまった。
こうして僕の青春シンギュラリティが訪れた。
僕の7畳半の部屋で常々鍋会を開いて笑いと哲学談義に花を咲かせた
二十歳の3人の童貞の活力と僻みと嫉みは未だにあの部屋にべったりとこべりついているだろう。
学食で好きな音楽について話し合った、僕はそこでゆらゆら帝国と出会った
きのこ帝国のクロノスタシスについての考察を熱心に行った、歌詞やbpmからも紐解き、僕はバイト中だろうが講義中だろうが四六時中考えていた。
森見登美彦に傾倒しすぎて京都へ旅行に行った
あまり本を読まない汝軟弱男児は、僕たちの熱に着いて来れなくなったのか夜中脱走し、京都の町へ家出した
迎えに行ったら泣き出したので3人で肩を組みながら夜の京都を歩いて宿に帰った(僕もちょっと泣いた)。
それぞれに彼女ができた
汝軟弱男児は卒業を機に彼女と暮らすために遠い地元に帰るというので卒業旅行は彼の地元に行った
空港で別れたその日から今日まで彼とは会っていない。
そうして、東京に残された僕たち二人は同じ会社に就職したが、ちゃんとブラックだったのと僕が地元に帰ったこともあって互いに一年と経たずに辞めた。
互いに国民の義務を全て満たさない資本主義の大敵となったので国賊然とするために一日中ゲームをしながら駄弁ってやった
場所は違えど、あの7畳半の部屋でやっていたことと同じことをずっとしていた。
たまに彼の地元まで出向いてキャンプやドライブに興じると、電脳世界で銃を乱射しながら駄弁る時間よりも現実世界の同じ空間で煙草を吸いつつ駄弁るこの時間で在った方がやはり満たされると感じた。
何よりやっぱりおもろい。
そうして僕たちは長らく他人の納めた税金で堕落を享受した後
僕は家業を継ぐために働き出した。
彼は彼女のいる関西での就職を決めた。
しばらく会えなくなるので、最後に彼の地元の近くでキャンプを計画し、僕は電車で集合地点へ向かっていた
その時
久しぶりに汝軟弱男児から僕たちのグループLINEに1つのメッセージが入った。
「彼女と別れました」
合流した僕たちは素早くテントを張ると、缶ビールを開け、彼に通話をかけた。
汝軟弱男児はその軟弱っぷりを遺憾なく発揮して、嫋嫋としていた
彼には申し訳ないが僕は、久々に3人で話ができたことの嬉しさの方が大きかった。
しばらく彼の話を聞き、近況を報告しあった。
斯くいう僕も最近彼女と別れたので互いに励まし合ったりもした。
楽しさで圧縮された時間はあっという間に進む、それとともに酒も進む
隣を見ると、珍しく物憂げな表情の友がいた
彼は普段、悩みなんて顔にも出さないしあまり語りもしないので酒の力を借り、何事かと話を聞き出した。
彼曰く
これからの自分の人生を全てシミュレートしたが
一番幸せになる道筋を理不尽に阻まれ、死ぬまでの幸せの総量が少なくなったということだった(僕の解釈が入っているし、少し端折ってる!難しくてうまく言語化できん、間違っていたらすまん!)。
彼の悩みは、およそ我々が強く共感できるものではなかった、その分根深く、彼の核心に繋がる重要なものだと僕は認識した。
だからこれは僕自身も持ち帰ってしばらく考えた
もし自分の未来が全て見えてしまったら
もし幸せになるために全てを尽くしても足りないものがあったら
ただ人生の上振れを待つだけの日々が続いてしまうのならば
どうすればよいのか......
僕は遂には答えを出すことができなかった
ただ一つ、不思議と、ある感情が生まれた
なぜだかとても悔しかった。
この悔しさは、答えが出ないことに対してではなかった
じゃあなに?彼の悩みを解決する言葉を持ってないから?
それもあるが、少し違う気がする
僕の中で疑問と、何か、熱が生まれた気がした。
それからしばらくは流れる時間の早さに抗わず、地元の生活と家業に精を出していた。
友の悩みを解決することはできずに
そうしてるうちに自分の方がややこしい流れに巻き込まれて、それが人生規模の悩みに発展してしまった。
もう解決したことを殊更にここでぐちぐち言いたくないので割愛するが、一つ言えることは
彼無くして今の僕はいないっていうこと。
僕はこの人生規模の悩みを解決したあたりで何かが変わった気がした
自分が成った感覚が少し掴めた
『守破離』という言葉がある
師の教えや好きな思想、学びを守りそれに準じて生きる、『守』
自分とは全く異なる教えや学びを取り入れて型を破る、『破』
そして、これらの経験、気づき、生まれ持ったもの全て
僕の世界......
あの7畳半、自己啓発、ゆらゆら帝国、Saucy dog、森見登美彦、農家のおっちゃんたち、キャンプ、元カノ、高円寺の飲み屋、地元、じいちゃんとの別れ、おもろさ、家族、友
それらが全て繋がり至る、『離』
この『離』に少しだけ、けれど確実に近づけた。
淀川の河川敷を二人で歩いていた。
今日は朝から梅雨独特の読めない雨がグダグダと降り続いていた。
先程まで喫茶店で雨宿りをしていたのだが、だいぶマシになってきたので散歩と洒落込んだ。
さすが雨男、と心の中で呟いたことはナイショだ。
今は雨と雨との間だなんて思ったけれど一考して撤回する。
明日の天気予報は晴れだ、じゃあこの後は?分からないが正解じゃないか、雨と不明の間。
なら急いで帰る必要はない。
僕の人生規模の悩みを解決した隣の友は今度は自分の人生規模の悩みに直面している。
上振れを待つだけの人生
どうしようもない悩み
昨年の彼の悩みと本質は同じではなかろうか。
これの僕なりの結論をここに記そう
取り溢してしまったものは戻らない
時間っていうのは一方通行だから
『覆水盆に返らず』
大きさは違えど人一人の持つことのできるお盆は一つだけ
なら隣でお盆を持つ奴が現れたら
時間軸上は全く一緒に
空間上もある程度近くに
自分の水の入ったお盆とそいつの水の入ったお盆が存在することになる
そうなったら
隣の水も自分のものと認識すればいい
足りなかったら隣から傘増しすればいい
そしてそのお盆には水の他に、どでかい氷がめちゃくちゃ入っている
水は溢れちゃうかもしれないけれど、氷なんてそうそう溢れない
溶かして水にする必要があるけれど人間二人集まれば熱は生まれる
つまりは、自分の幸せの流れに対象者を巻き込むってこと
お前一人じゃ幸せの総量に限界があるなら、俺がいる分で少しは上げることができるんじゃないか
死ぬ頃には氷全て溶かして、たぷたぷにしてやる
自信を持って言う
なぜならば
俺が一番おもろいから、そして同率でお前も一番おもろい
そして互いにおもろいことが好き
じゃあてっぺん目指そうか
思考の外側から
思ってもなかった
全くの人生の計画外の
おもろい流れに巻き込んでやるから
ふと、
だが確実に、
ここが分水嶺だと感じた。
自分が『離』に近づいたことで
今までやってきたことに意味が芽生えてきた
見えなかったものも見えてきた
俺たちはめちゃくちゃおもろくなっている
会話の反省点が見え出すことも
外の世界におもろさを見出すことも
俺たちが成ったことの証明なのではないか?
そして、あの時の悔しさの正体も判った
これは、怒りだ
俺が一番おもろいと思っている相方を理解できない理不尽に
こんなおもろいやつが上振れを待つしかない環境と何もできない自分に
あとこれはちょっと恥ずいけど友達を悲しませたことに
だったら俺が馬鹿にもわかるようにツッコんでやるよ
隣に立って全員笑わせてやるよ
自覚して発現した熱が溢れ出る
なんとなくなんかじゃない
途中だったからグチャグチャだった型の
輪郭ほどは完成したから
自然と腑に落ちた
「俺たちで漫才作ってみない?」
長年押し殺してしまい、もう原型も留めていなかったグチャグチャの僕たちのオリジンがやっと輪郭を成して熱がこもった。
淀川の河川敷で一組が手を握った。
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