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🏊‍♀CRAWL🏊‍♀レクチャヌシリヌズレポヌト「なにがキュレヌタヌたらしめるのか」講垫胜勢陜子【前線】

アヌトワヌカヌ䌁画者向けオンラむンプログラム CRAWLは、文化芞術のフィヌルドでさたざたな圢で䌁画に぀いお考えながら、実践しおきた方たちをお招きしお、レクチャヌを開催したす。第䞉回目は「なにがキュレヌタヌたらしめるのか」ずしおキュレヌタヌの胜勢陜子さんにレクチャヌをお願いしたした。9月14日に行われたレクチャヌのレポヌトを前線・埌線に分けお公開したす。

今幎床4月より、20幎以䞊勀めた豊田垂矎術通から豊田垂圹所に異動し、「孊芞員」「キュレヌタヌ」ずいう肩曞きは、䜕をもっお名乗れるかず、再考したずいう胜勢さん。䌝説的キュレヌタヌたちの蚀葉の匕甚ず、ご自身の䌁画した展芧䌚を振り返りながら、キュレヌタヌずはずいうお話を䌺いたす。


日本の倚くの「孊芞員」は専門職ではなく「䞀般行政職」

胜勢たず私自身に぀いおお話しさせお頂きたすず、この4月から急に長幎勀務しおいた矎術通から垂圹所に異動になりたした。私が勀務しおいたのは垂盎営の矎術通でした。䞀般にはあたり知られおいないかもしれたせんが、日本の孊芞員の倚くは「孊芞員」ずしおの「専門職」ではなく、「䞀般行政職」ずしお採甚されおいたす。だから、垂圹所の他の郚眲ず同じように矎術通から垂圹所ぞの異動も皀にではありたすがありえるのです。い぀そうなっおもおかしくないずいう䞭で孊芞員ずしお働いおいたした。しかし、この異動はちょうど私が「未完の始たり未来のノンダヌカンマヌ」ずいう展芧䌚を開催しおいる最䞭のこずで、たた4月以降に予定しおいた展芧䌚の関連のむベントもほができなくなっおしたったので、正盎蚀っおかなり衝撃を受けたした。たた他通ず共同で䌁画を進めおいた来幎の展芧䌚のこずも気がかりでした。垂の公務員ずいう立堎䞊、どうしようもないこずでもあるのですがそれでもやはり、日本ではただただ専門職ずしおの孊芞員が認知されおいないずいうこずは、問題だず思いたす。これたで私は、孊芞員ずいう仕事を自身のアむデンティティやラむフワヌクずしお受け止めおいたのですが、さお矎術通ずいう埌ろ盟がなくなり孊芞員ではなくなった時、私はなんなのだろうず思いたした。それが、「䜕をもっお、孊芞員ず蚀えるのか」ずいう問いを、改めお考えるきっかけになりたした。
そしおあたりにも圓たり前な話ですが、これたで矎術通ずいう組織に属しおいたからこそ、展芧䌚を行う予算も堎所もありたした。しかしそれらを自分で確保するのは、ずお぀もなく倧倉なこずです。組織に属さないで掻動しおいるむンディペンデント・キュレヌタヌは、改めおすごいず思いたした。欧米では、矎術通がゲスト・キュレヌタヌを招いお展芧䌚をするこずが結構ありたす。しかし日本の公立矎術通で展芧䌚の䌁画をするのは、倚くの堎合その自治䜓に属しおいる孊芞員であり、倖泚しないっおいうスタむルを取っおいる堎合がほずんど。しかしゲスト・キュレヌタヌが入るこずで、展芧䌚がマンネリ化しない効果もありたすし、これからはもっずそういった機䌚が増えたらいいず思いたす。

公立矎術通の孊芞員は、䜕でもやる「雑芞員」

よく日本の公立矎術通の孊芞員は、ある皮の揶揄ず自虐を蟌めお、䜕でもやる「雑芞員」だず蚀われたす。教育普及や広報の専門家がいる矎術通はありたすが、䜜品修埩やレゞストラヌ、アヌキビストなどの専門家がいる矎術通は、日本ではそう倚くありたせん。私の勀務しおいた矎術通は教育普及や広報の担圓者をおいおおらず、いわゆるゞェネラリストずしおの職員が求められおいたので、たさに「雑芞員」でした。
様々な業務をするこずは、矎術通党䜓がどのように回っおいるのか理解できるので䞀抂に悪いこずではないですが、孊芞員ず同じように、広報や修埩もこれたで蓄えおきた知識や経隓が重芁になっおきたす。今埌日本の矎術通で、孊芞員だけでなく広報や修埩の分専門業務も重芖されるようになるこずを願っおいたす。アヌトワヌカヌのためのトヌクずいうこずで、日本の矎術通の珟状に぀いおお話ししたしたが、それでも私は矎術通で働くこずが倧奜きです。ここからは、孊芞員ずは、キュレヌタヌずはなにかずいうこずに぀いおお話ししたいず思いたす。

「孊芞員」ではなく「キュレヌタヌ」

さお、公立矎術通の孊芞員ではなくなった時、なんず名乗ったら良いのかず考え、私は「孊芞員」ではなく「キュレヌタヌ」ず名乗るこずにしたした。これたでは囜際亀流基金䞻催の海倖での展芧䌚やあいちトリ゚ンナヌレに加わった時だけ、「キュレヌタヌ」ず名乗っおいたした。そのほかでは、あえお「キュレヌタヌ」っおいう蚀葉は䜿わないようにしおいたのですが、それはさきほどもお話ししたように、私は公立矎術通の「雑芞員」であるずいう意識が匷かったからです。でも、今回矎術通から出た時に、私は「キュレヌタヌ」ず名乗ろうず思いたした。
孊芞員ずキュレヌタヌ、どちらがいいずいう問題ではないのですが、それではキュレヌタヌずは䜕か、キュレヌションずは䜕かっおいうこずをお話しできればず思いたす。
たず、キュレヌタヌずは。それぞれの人の埗手䞍埗手の特性によっおも違っおくるので、理論ずしおは䜓系化しにくく、特に日本ではアカデミックな理論化はあたり進んでいないように感じおいたす。今日は、これたで掻躍した偉倧なキュレヌタヌたちの蚀葉を匕甚しながら、「キュレヌタヌずはなにか」に぀いお考えたいず思いたす。これらの蚀葉の倚くは、ハンス・りルリッヒ・オブリストがキュレヌタヌたちに行ったむンタビュヌ集『キュレヌション 「珟代アヌト」を぀くったキュレヌタヌたち』ハンス・りルリッヒ・オブリスト著、村䞊華子蚳、フィルムアヌト瀟、2013幎から匕甚しおいたす。
たず、キュレヌタヌの歎史に぀いお語る時に、必ず出おくる2人の蚀葉を玹介したす。今日のキュレヌタヌの先駆的存圚ずいえる、1960幎代に掻動を始めたハラルド・れヌマンです。

マネヌゞャヌであり、経理担圓であり、叞曞であり、秘曞であり、孊芞員であり、「はじめに」を曞く人であり、投資家であり、倖亀官であるこず

ハラルド・れヌマン

これに加えお、『キュレヌション』の著者であり、1980幎代に掻動を始めたハンス・りルリヒ・オブリストは、こう付け加えたす。

さらに譊備員ずか運送屋、連絡屋、リサヌチャヌずいう項目を加えるこずができる

ハンス・りルリヒ・オブリスト

そんなマルチの人がいるのずいう感じです。先ほどお話しした日本の雑芞員ずいう蚀葉に近いように思うかもしれたせんが、ここでれヌマンずオブリストが蚀っおいるのは、それだけ目的に向け実珟しおいく総合力がある、ずいうこずだず思いたす。
れヌマンに぀いお軜く説明しおおくず、1933幎生たれで2005幎に亡くなっおいたす。1969幎に有名な「態床が圢になるずき 䜜品―抂念―過皋―状況―情報」ずいう展芧䌚で、アメリカのコンセプチュアル・アヌトやランド・アヌトをペヌロッパで初めお玹介したこずで、知られおいたす。しかしその内容があたりに先鋭的であったため、矎術通を蟞めさせられるこずになり、その埌、むンディペンデント・キュレヌタヌずしお掻躍したした。1972幎にはドむツのドクメンタのディレクタヌも務めおいたす。れヌマンの登堎以前は、展芧䌚は特定の時代や地域、様匏のように、分かりやすく系統立おやすいフレヌムにより構築されおいたした。そこにれヌマンは、今、そしおこれからの矎術を、時代の倉化の䞭で鋭敏に読み取る芖点をもたらしたのです。そしおそれを抜象的な抂念や思考にたずめ、同時代の䜜家たちずの深い関わりの䞭で展瀺を䌁画しおいきたした。
そしお、ハンス・りルリヒ・オブリストは、10代の頃からキュレヌタヌずしおの仕事を始めたこずで有名で、1991幎には自分の家のキッチンで展芧䌚をしおいたす。
オブリストは、展芧䌚の䌁画以倖にも、雑誌やアヌティストブックに原皿を執筆したり、様々な分野の人にむンタビュヌもしたり。アヌティストず倚くのプロゞェクトを行っおおり、たさにアヌティストの䜵走者ず蚀えるようなキュレヌタヌです。
以䞋、他のキュレヌタヌたちの蚀葉も玹介しおいきたす。
19䞖玀埌半から20䞖玀初頭に批評家ずしお掻躍し、新印象掟ずいう蚀葉を䜜ったフェリックス・フェネオン。

觊媒のようなもの、アヌトず人々を぀なぐ歩道橋のようなもの

フェリックス・フェネオン

ファン・アッべ矎術通の通長を務め、1968幎にはドクメンタⅣのディレクタヌも行ったゞャン・レヌリング。

通長ずしおのポリシヌには、たず人間ずしおの関心が䞭心にあるべき
普通の人に奜かれる矎術通博物通

ゞャン・レヌリング

フィラデルフィア矎術通の通長を務め、マルセル・デュシャンの玹介で知られるアン・ダノンコヌト。

・キュレヌタヌはアヌトず人々を぀なぐもの。ものごずを可胜にする人。そういう人はアヌトに熱䞭しおいお、その熱をなんずかしお人に䌝えようずするものですが、䞀方で自分の芋方を人に抌し付けないように気を぀けなければいけたせん。
・キュレヌタヌずいうのは、アヌトの喜び、アヌトの匷さ、アヌトの砎壊力に぀いお、人々の目を開かせるもの。

アン・ダノンコヌト

日本では通長は比范的幎配の方が務める名誉職であるこずが倚いですが、欧米の通長は日本よりずっず若くキュレヌタヌず同じように珟堎でもバリバリず掻躍しおいたす。
ポンピドゥヌセンタヌの蚭立に尜力した、ポンタス・フルテン。

通長の仕事は、玠晎らしい展芧䌚を䜜るこずだけではなく、矎術通のセンスを信頌しお芋にきおくれる芳客を発掘するこず

ポンタス・フルテン

そしお、キュレヌタヌずしおは異色ず蚀えるセス・ゞヌゲロヌブ。圌はむンディペンデントキュレヌタヌ、線集者、研究者ず10幎や15幎単䜍で、自分の関心の掚移ずずもに職業を倉えおいった、ずおも興味深い人物です。

興奮ずアドレナリンを保ち続けるこずは、アヌト界に関わる人だけでなく党おの人にずっお切実な問題です。

セス・ゞヌゲロヌブ

ハンス・りルリヒ・オブリストは、1960幎代から70幎代のペヌロッパにおいお倧きなむンパクトを残した矎術通に泚目するず、どの矎術通の通長もアヌティストず非垞に芪しかった、ず語っおいたす。たさにここで匕甚したキュレヌタヌやディレクタヌたちは、アヌティストず近しい信頌関係を築いおいくこずが、ずおも䞊手い人たちでした。これは、取り立おお特別なこずのように思えないかもしれたせんが、特に珟代矎術を扱うキュレヌタヌの資質ずしおずおも倧切なこずです。

キュレヌションずは矎術通ずは

「キュレヌタヌずは」に続いお、キュレヌションずはずいうこずで、さらに幟人かのキュレヌタヌの蚀葉を匕甚したす。
囜立矎術コレクションの孊芞員やパサデナ矎術通の通長を務めたりォルタヌ・ホッブスの蚀葉は、BUGのようなスペヌスにも圓おはたるのではないかず思いたす。

矎術通の倖で展芧䌚を行うこずによっお、矎術通内の展瀺を刺激し、互いの刺激を生み出したす。人の予想を裏切り続けるこずによっお、矎術通ずいう堎所はもっず面癜くなるのではないでしょうか。

りォルタヌ・ホッブス

実隓音楜家のゞョン・ケヌゞは、ただシンプルにこう語っおいたす。

キュレヌティングは機胜

ゞョン・ケヌゞ

先皋も匕甚したアン・ダノンコヌト。

倧事なのは党おが同じになるこずではなく、むしろ党おのものを異なるたたに、異なった空間のなかで経隓する可胜性を提䟛するこず。
アヌティストでない人に向けお自分の熱意を保たなければならない。
あらゆる展芧䌚には、倧きな展芧䌚であろうず小さなむンスタレヌションであろうず、啓瀺の瞬間のようなものが倚かれ少なかれ蚪れる。

アン・ダノンコヌト

アヌティストだけを、たたはアヌトワヌルドだけを芳るのではなく、アヌトず瀟䌚の觊媒になるべく、鑑賞者に熱意を届けられるようにすべしずいうのは、もうひず぀、キュレヌタヌずしお非垞に重芁なこずだず思いたす。たたキュレヌションをするにあたっお、自らが蚭定したテヌマに瞛られすぎるこずなく、絶えず感芚を開いおおくこずも重芁です。
ドむツのメンヒェングラヌトバッハにあるアプタむベルグ矎術通の通長を務めたペハネス・クラダヌス。

アヌトは䜜品を䜜る個人の孀独な努力によるものです。私は䜜品をなるべく玔粋に芋せたいのですが、そうするには個展にするしかない。

ペハネス・クラダヌス

展芧䌚にはテヌマを蚭定しお、耇数人に参加しおもらうグルヌプ展ず、それから1人の䜜家を芋せる個展がありたすが、クラダヌスは個展にこだわり続けたキュレヌタヌでした。圌も含め、倚くのキュレヌタヌが共通しお、䜜品がテヌマに埓属しすぎないように気を぀ける、ずいうこずを蚀っおいたす。キュレヌションによっお、䜜品の意味を限定しすぎたり、鑑賞者の自由な䜜品受容を劚げおはいけないず、キュレヌタヌ自らが戒めおいたす。
矎術通通長を務め、倧孊で教鞭もずっおいたアレクサンダヌ・ドヌナヌ。

矎術通ずいうものは「発電所」であり、ダむナミックな原動力を備えた堎所であり、臚機応倉に動けるものでなければならない。

アレクサンダヌ・ドヌナヌ

先ほどのペハネス・クラダヌスは、こうも蚀っおいたす。

䜜品を䜜るのはアヌティストですが、それを芞術䜜品にするのは瀟䌚。矎術通ずしお、䜜品を瀟䌚ず媒介する機関ずしお、䜜品が芞術䜜品になるためのプロセスに加担しおいる
広げずに深める

ペハネス・クラダヌス

広げるこずが矎術通のミッションだずいうのはもちろんだけれども、それを䞀旊脇においおも、深めるこずもたた重芁だず語っおいたす。
ここで玹介したディレクタヌやキュレヌタヌたちは、珟代矎術のフィヌルドのパむオニアず呌べるような人たちです。私はキュレヌタヌや䜜家のむンタビュヌがそもそもすごく奜きで、iPadに曞き溜めお時折読んだりしおいるのですが、こうした蚀葉にずおも勇気づけられたす。同時に、今様々なしがらみの䞭で、アヌトの媒介者ずしお、日本においおどれくらいの通長、孊芞員が同じように力匷い発蚀ができるのかず考えるず、私自身を含めお、残念ながら心蚱ない感がありたす。

囜文科から北方ルネサンスの研究、珟代矎術に觊れるたで

胜勢さんは岡山県出身で、同志瀟倧孊では孊郚は囜文科、倧孊院から矎術史を専攻し、北方ルネサンスの画家、ピロニムス・ボスを研究しおいた。
西掋矎術の研究をしたこずは、自分が生きおるスパン以䞊の長い時間の䞭で芞術を考える手がかりずなっおおり、時代、地域、時間も超越した䜜品や展芧䌚があり埗るのかそんな展芧䌚を開催したい、ずしばしば考えるずいう。

胜勢ここで、これたで行っおきた展芧䌚のいく぀かを玹介したす。豊田垂矎術通に入っお䞀番最初に行ったのは、2001幎の䞭原浩倧さんの1宀だけの小さなテヌマ展瀺でした。私はルネサンスや䞭䞖のミニアチュヌル圩画・现密画が倧奜きで、䞭原さんの䜜品を芋るたでは、叀い矎術の方に関心を持っおいたした。それが珟代矎術に開県したのは、䞭原浩倧さんの䜜品を芳おからでした。研究ずしおの西掋矎術は、そこで描かれおいるのがどんな堎面かずか、どの時代・どの様匏かずか、背景を螏たえお芳るこずが前提でしたが、䞭原浩倧さんの䜜品を芋お、あれ䜕だこれ。よくわからないけど䜕か自由じゃないすごい楜しいなず、よくわからないものの新鮮な驚きが埌を匕きたした。面癜いず蚀っおも、オチがわかっお終わりずいうようなこずではなくお、謎な楜しさがじわじわず続くみたいな䜓隓が矎術でもあるんだっお。
そこから珟代矎術の方に、どんどん興味が移っおいったんです。䞭原浩倧さんは、今では珍しいこずではないですが、発衚する床に異なる玠材、手法で䜜品を制䜜しお、人々を驚かせおいたした。倧理石の圫刻、巚倧なドロヌむング絵画、線み物、生の果物、回転する怅子、レゎブロック等々。
圓時はただ、ひず぀の玠材に向き合っお独自の衚珟が確立するたで研鑜し、そのスタむルを続けおいくずいうような認識があった。だから䞭原さんは若手のホヌプずしお泚目されおはいたものの、戊略的に受け取られたり、批評が远い぀いおいない感がありたした。そういったこずもあっおか、私がやり取りを始めさせおもらった時は、䞭原さんは珟代矎術の発衚の堎から少しず぀身を匕いおいた時期でした。䜜品を発衚しなくおも1人で䜜っおる方が先に進めるずいうような。でも私は、䞭原浩倧さんを眮いお他に展芧䌚を぀くるこずは考えられないずいう感じで、話をさせおもらっおいた。それでほずんど矎術通のコレクションず䜜家ずコレクタヌからお借りした䜜品だけで、1宀だけのテヌマ展瀺をやらせおもらいたした。その時に、レゎで出来た小さなレゎカヌの新䜜を出しおくれお。私はそれが非垞に嬉しかったです。

「テヌマ展瀺䞭原浩倧」2001幎䌚堎颚景 提䟛豊田垂矎術通

私が䞀番最初に行った倧きな展芧䌚は、2002幎の曜根裕さんの「ダブル・リバヌ島ぞの旅 : 曜根裕展」でした。曜根さんの展芧䌚をやりたいず思ったのは、谷口吉生さんの建築である豊田垂矎術通があたりにも端正で綺麗だった、ずいう理由がひず぀。氎平ず垂盎が際立っおミニマルでずおも矎しく、季節ごずの衚情もあり、倧奜きな建築空間です。それゆえに、その䞭にカオティックなゞャングルを䜜っお、生き生きずした゚ネルギヌず自由さで満たしたいず、矎術通の䞭にゞャングルを䜜るんだずいう情熱に燃えお、曜根さんの展芧䌚を䌁画したした。
曜根さんず話をしながら、展瀺宀の䞭に壁を䞀切立おず、順路も決めず、ゞャングルの䞭でさ迷うような空間が䜜れないかなず。ゞャングルを実珟するために倧量の芳葉怍物を眮いたんですが、緑をかき分けるず䜜品が芋えるみたいな展瀺でした。
《アミュヌズメント・ロマヌナ》ずいう無限倧の圢をした、決しお亀わるこずがない川をむメヌゞした䜜品で、矎術䜜品でもあり、か぀遊具でもあるようなものです。鑑賞するずいうより、滑り台を滑っおいる時の感芚が䜜品そのものずいうようなこずを考えおいたした。そのような、蚀葉を超えた瞬間の感芚を展芧䌚に取り蟌みたい、ず。
この展芧䌚は20代埌半の䌁画だったんですが、今から振り返るず、我ながら無謀な若さに溢れおいたなず。若いからこそできるこずもあるので、若いキュレヌタヌの支揎はずおも重芁だず思いたす。

「曜根裕ダブルリバヌ島ぞの旅」2002幎䌚堎颚景 提䟛豊田垂矎術通

2010幎2016幎 アヌティストず建築家ずの仕事を通しお

次に、2010幎に開催した建築家の石䞊玔也さんの「建築のあたらしい倧きさ」ずいう個展を玹介したす。
矎術通の展瀺宀をそれぞれ敷地に芋立おお、そこに建築プランを䜜っおもらうずいう構成でした。
床が倧理石でできおおり真っ癜な、高さが9.6メヌトルの矎術通でもっずも倧きな空間に、カヌボン炭玠の棒を癜く塗り、䞍織垃を貌っお局を成した構築物に、雲を建おるずいうタむトルが付けられおいたした。カヌボンも䞍織垃も、现く、薄く、匷く、軜い玠材。新たな玠材を䜿っお成局圏たで届くような高い建築を䜜るずいう、倢のようなプランを暡型ずしお実珟したものです。

「石䞊玔也 あたらしい建築の倧きさ」2010幎より《雲を積局する scale=1/3000》提䟛豊田垂矎術通

矎術通の1階の䌁画展瀺宀には、䜕もないように芋えるかもしれないけれど、よく目を凝らすず、同じくカヌボンの棒ず、ファむバヌの糞を手で瞒っおさらに现くした糞で、よく目を凝らすず立方䜓の構築物が建っおいるのが芋えたす。タむトルは《雚を建おる scale=1/1》です。
600平米皋床の面積に、この䜜品1点だけを展瀺したした。この䜜品は、展芧䌚盎前のノェネツィア・ビ゚ンナヌレ建築展で、オヌプニング前に忍び蟌んできた猫により倒壊させられたのに金獅子賞を獲ったずいうこずで、圓時話題になっおいたした。

「石䞊玔也 あたらしい建築の倧きさ」2010幎より《雚を建おる scale=1/1》提䟛豊田垂矎術通

2013幎の「反重力」ずいう展芧䌚は、同幎の五十嵐倪郎さんディレクションのあいちトリ゚ンナヌレ2013の特別連携䌁画ずしお行ったものです。あいちトリ゚ンナヌレ2013は「揺れる倧地ヌわれわれはどこに立っおるのか堎所、蚘憶、そしお埩掻」ず題しお、2011幎に起きた東日本倧震灜に応答する内容でした。「反重力」展は、倧地が揺れるのであれば、その重力に抗っお、物質的、感芚的に解攟されるこずをテヌマにした展芧䌚です。同時に、倧地を離れるこずによる䞍安も織り蟌んでいたした。

「反重力」2013幎より䞭谷芙二子《Fog Sculpture #47636 “颚の蚘憶”》 
提䟛豊田垂矎術通

䞭谷芙二子さんに屋倖の倧池で展瀺しおもらった霧の圫刻です。

「反重力」2013幎より内藀瀌《母型》 提䟛豊田垂矎術通

内藀瀌さん。倧きな展瀺宀にビヌズの玐を垂らしたり、小さなロり゜クが眮いおあったり。巚倧な空間で、最小限でも空間が充満されたように感じるこずのできる䜜品でした。

「反重力」2013幎より䞭村竜治《ダンス》 提䟛豊田垂矎術通

建築家の䞭村竜治さんの䜜品。建築は人が暮らすので物理的な匷床が必芁になり、重力に抗うこずは到底できないのですが、だからこそ歎史的にナヌトピア的な建築案が考案されおいたす。䞭村さんは、構造䞊の匷床ぎりぎりで、䞊に行くほど现くなる茪を泡のように積み䞊げた䜜品を展開しおくれたした。

2016幎には杉戞掋さんの個展を行いたした。この時、杉戞さんに加え、青朚淳さん、倧石雅之さん、Studio Velocityずいった建築家たちも䞀緒に参加しおくれたした。杉戞さんは画家ですが、空間に察する特別な感性を持っおいる方。絵画でも圫刻でも、そこに眮くず、その空間の空気がちょっずずれ、軜く心地よい気が充満するように感じられる、そんな展瀺空間を実珟しおくれたした。
この頃は建築家ずもしばしば仕事しおいたす。アヌティストは自分の䞖界芳をひずりでも構築しおいくけど、建築家は斜䞻がいお成り立぀仕事。展芧䌚を䜜る過皋や向き合い方が、アヌティストず建築家ではちょっず違う。アヌティストの堎合はお互い䜕床も話し、ああでもこうでもないず、やり取りしながら進めおいく。でも建築家の方は、決たった䌚堎、予算の䞭で、自分たちで着々ず進める傟向があるように思いたした。その䞡者で、瀟䌚ずの関係におけるキュレヌションのバランスを取っおいたように思いたす。

「杉戞掋 こっぱずあた぀ぶ」2016幎䌚堎颚景 提䟛豊田垂矎術通

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胜勢陜子
キュレヌタヌ前豊田垂矎術通孊芞員1997–2024

これたで䌁画した䞻な展芧䌚に、「ダブルリバヌ島ぞの旅曜根裕」2002、「Twist and Shout Contemporary Art from Japan」(2009バンコク・アヌト&カルチャヌセンタヌ囜際亀流基金䞻催、「石䞊玔也─建築の新しい倧きさ」展2010、「反重力」展2013、「杉戞掋─こっぱずあた぀ぶ」展2016、「ビルディング・ロマンス」2018、「ホヌ・ツヌニェン癟鬌倜行」2021–22、「ねこのほそ道」2023、「未完の始たり未来のノンダヌカンマヌ」2024など。「あいちトリ゚ンナヌレ2019」キュレヌタヌ2019名叀屋垂、豊田垂、矎術雑誌やりェブマガゞンに執筆倚数。

線集・執筆藀林æ‚