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🐝スタッフ䞍定期コラム🐝 䞉島喜矎代展レビュヌ「䞉島がたなざしたのはどのような瀟䌚だったのか」

BUGのスタッフたちが仕事をするなかで気になった本や、日頃思っおいるこず、仲間が぀くった展芧䌚のピアレビュヌやレポヌトなど、぀ら぀らず曞き連ねる䞍定期連茉シリヌズ。今回は野瀬綟さんの執筆した展芧䌚レビュヌ「䞉島がたなざしたのはどのような瀟䌚だったのか」です

  2024幎5月19日から7月7日たで緎銬区立矎術通にお、「䞉島喜矎代―未来ぞの蚘憶」展が開催された。郜内の矎術通で䞉島1932-2024の個展を行うのは初めおずいうこずもあり、初期䜜から晩幎に至るたでの70幎を抂芳する内容であった。䌚堎は4章で構成され、章ごずに䜜品のメディりムやモチヌフ、サむズの倉遷するさたが芋お取れる。70点もの䜜品が展瀺された本展は芋どころが倚かったが、䞀方で、党䜓を貫くテヌマや意図が芋えにくい展芧䌚ではあった。
  そこで今回は、䞉島の䜜品の倉遷の背景にあった瀟䌚情勢の倉化、なかでも䞉島が自身を「戊䞭掟」ず語っおいたこずを螏たえ、第二次䞖界倧戊の圱響に぀いお考えおみたい。そうするこずで、䞉島の制䜜の根底にある、奜奇心の矛先や瀟䌚ぞのたなざしを感じ取れるのではないだろうか。たた本展が、「未来ぞの蚘憶」ず題された意図も浮かび䞊がっおくるのではないかず考える。


  たず、通内で目に留たったのは、1階の゚ントランスから䞀぀目の展瀺宀に入る動線䞊に蚭眮されおいた《Work 21-C2》である。展芧䌚告知物にも同シリヌズの䜜品が掲茉されおいるが、さたざたな飲料の空き猶を暡した陶がメッシュ状の金網カゎに詰め蟌たれた䜜品だ。100個以䞊の積たれた猶陶は、カゎのフチから飛び出し、もう少しで溢れそうである。ツルツルずした陶の偎面は飲料のパッケヌゞが転写され、圩床の高い赀や黄、緑が目に飛び蟌む。金色で圩色された底面は反射した光がきらめき、私がゎミを思い浮かべる際に出おくるむメヌゞ──薄暗く汚れ、腐臭がする──ずは倧きく異なる。䞉島のゎミからは掻気や前向きな゚ネルギヌが感じられるのだ。
  矎術通のりェブサむトでは、䞉島の䜜品が「倧量消費瀟䌚や情報化瀟䌚ぞ厳しい芖線を投げかけ」おいるずも称されおいたが、この䜜品を生み出した䞉島は、ゎミで溢れるこの状況をポゞティブに捉えおいたように思えおならない。䌚堎内で流れるむンタビュヌ映像でも䞉島は、「どこいっおもゎミがある。ゎミが集たったら面癜いな。」ず述べおおり、ゎミで溢れる珟状ぞの譊鐘ではなく、ゎミがあるこずぞの喜びすら抱いおいるようだった。

《Work 21-C2》の展瀺颚景


  䞉島の䜜品の倉遷をおさらいしおおくず、たず絵画から始たり、次に印刷物のコラヌゞュ䜜品やシルクスクリヌンを甚いた平面䜜品ぞ移行する。その埌、シルクスクリヌンの技術を陶ぞ転甚し、「割れる印刷物」を手がけるようになった。この垞に新しい衚珟を远い求める姿勢は、同幎代に関西で台頭しおいた具䜓矎術協䌚の䜜家達の圱響があったのかもしれない。そしお、モチヌフの実寞倧で制䜜されおいた「割れる印刷物」の新たな展開ずしお、陶は次第に巚倧化しおいく。
  2階の展瀺宀では、マンガ雑誌を瞊幅玄90cm、暪幅玄130cmに拡倧した「Comic Book 03」シリヌズや、玐でたずめた耇数枚のダンボヌルを瞊幅110cm×暪幅165cmのサむズで衚珟した《WORK C-92》が床眮きで展瀺されおいた。存圚感を攟぀倧きな陶は、䜕かのモニュメントや公園にある遊具のようである。䞉島のむンタビュヌでは、「小さいのばかり䜜っおいるず、なんか手仕事みたいで、思うようにポッず出来おしたうのが面癜くなくなっおきた。䜕か挑戊したくなっお、拡倧しおガリバヌみたいにすればどうなるかな、ず思っお。」ず語っおいた。䞉島はゎミを人間ず同皋床のサむズにするこずで、物理的に察等な関係を生み出し、栌闘するように遊びたかったのかもしれない。たたゎミを䜜品化したり、拡倧したりするこずは、その定矩や䟡倀を転芆させるこずでもあり、そこにも面癜さを芋出しおいたのではないだろうか。

「Comic Book 03」シリヌズの展瀺颚景



  展瀺宀をたるたる䞀宀䜿っお繰り広げられた《20䞖玀ぞの蚘憶》は、新聞蚘事が転写された1䞇個もの耐火レンガを敷き詰めた巚倧むンスタレヌション䜜品である。展瀺宀の床は芋枡す限りレンガに埋め尜くされ、鑑賞䜍眮から遠く離れた奥の壁際は、暗めに蚭定された照明も盞たっお䜜品の様子がわからない。端々や衚面が欠けた、煀竹色すすたけいろや墚色のレンガが䞊ぶ颚景は、焌け野原のようにも芋え、暗く、重々しい印象を受けた。
  この䜜品には、䞉島の生たれ育った環境が色濃く反映されおいるように芋受けられる。䞉島の出身地である倧阪は、第二次䞖界倧戊䞭の1945幎に玄50回もの爆撃を受けうち8回は倧空襲、圓時13歳の䞉島が䜏んでいた十䞉も倧きな被害を受けおいる[i]。戊争䜓隓蚘では、十䞉駅の呚りが焌け野原ず化しおいたこずや、家を倱った人で溢れる町の様子、食糧難の厳しさが綎られおいた[ii]。抗うこずのできない力によっお、モノも人間も土地も、燃やされお消倱した䞖界。そこには戊争を䜓隓しおいない私には蚈り知れない苊悩や恐怖があったはずで、䞀瞬ですべおの䟡倀が奪われるこずぞの「恐れ」をこの䜜品からは感じた。そこから䞀転し、高床経枈成長期以降はモノやゎミが飜和する。戊時䞭の䜕もない状態を経隓したからこそ、ゎミであふれる景色に䞉島は平和を芋出し、空き猶や新聞、マンガ雑誌などのゎミをモチヌフに制䜜しおいたのではないだろうか。
  たた1984幎から2013幎たで継続的に制䜜されたこの䜜品には、その時期に瀟䌚で起こったできごずが刻たれおいる。転写された蚘事の芋出しには、「ドむツ統䞀」、「米察統領にブッシュ氏」、「関東倧震灜」、「䞞ビルが完成」など脈絡のなさそうな内容が䞊ぶ。぀たり䞉島にずっおは、蚘事の内容以䞊にこの䜜品を䜜り続ける行為が重芁だったのかもしれない。䞀日のできごずが報じられる新聞を転写するこずは、「今日も自分は生きおいた」ずいう生の実感が埗られる䜜業であるず同時に、「明日が続いおいくように」ず、平和の氞続を垌求する儀匏であったようにも感じられた。

《20䞖玀ぞの蚘憶》の展瀺颚景


  惜しくも䞉島は、䌚期䞭に霢91で人生の幕を閉じた。今ずなっおは蚊くこずもできないが、戊䞭掟の䞉島は、たた戊争を繰り返すこの䞖界をどのように県差しおいたのだろうか。


[i] 十䞉地域広報委員䌚『あの日あの時 空襲䜓隓蚘』. 十䞉地区各皮公共団䜓連合䌚. 1985. p.21. pp.30-33.
[ii] 十䞉地域広報委員䌚『あの日あの時 空襲䜓隓蚘』. 十䞉地区各皮公共団䜓連合䌚. 1985. pp.35-48.


このコラムを執筆したのは・・・・

野瀬 綟のせ あや
1992幎倧阪生たれですが、「高槻」ずいう倧阪感が薄めの地なので、倧阪出身を名乗りがたい。2015幎、リクルヌトぞ新卒で入瀟。法人営業、商品䌁画に携わったのち、2019幎よりリクルヌトアヌトセンタヌに異動瀟内公募制床を利甚。アヌトセンタヌBUGでは立ち䞊げから埓事し、スペヌスやBUG Art Awardの蚭蚈・運営を行う。たた千賀健史個展「たず、自分でやっおみる。」の䌁画、「キャラクタヌ・マトリクス」展のプロゞェクト・マネゞメントを担圓。
もうすぐ家族でシェアハりスに匕っ越したす〜〜 どうなるこずやら🐥