見出し画像

終わりの美学



まだ、僕は美学を持っていない。




僕の終わり


フィルムカメラ、月、レコード,King Gnu


僕の”なんかいいな”
には終わりが存在する。


僕の終わりは何だろう、



人生だ。


人生には必ず「死」という終わりが来る。



でも、他のなんかいいと
人生には決定的な違いがある。


それは、
いつ来るかわからないということ。

そう、
いつ死ぬかわからないのだ。

終わりなんてもの、あってないようなもの。

気にせず生きればいい。
いつか終わりが来るのだから。



その通りだ。


でも、だからこそ僕は、
いつ死んでもいいように
過程もこだわりたい。


僕には
「自分や仲間や友達の思いがこもった、
製品・サービス・地域・人に囲まれて死にたい」
という夢がある。
(詳細はまた別のNoteで)



”友達”に建築してもらった家に住み、
”仲間”が収穫した野菜を食べて、
”自分達”が作ったサービスで移動して、
”先輩”が始めた音楽を聴きながら、
”後輩”のブランドの服を着て、
”大好きな仲間”と
”大好きな仕事”をしに行く。


自分の生活の

”あらゆるもの”

”想い””誇り”をもって

生きている。


そんな状態で、

僕は死にたい



そんな夢。

” 終わり方は自分で決める”

「かっこよく、美しく、終わる。」

その結果、誰かの心に
「かっこいい」「美しい」が残ればもっといい。


そう思う。


美学

ある日、僕の大事な人に
夢の話を打ち明けた時、
「死にたいって言い方はしないで欲しい」
と言われた。

僕は
彼女の言う事はほとんど聞く。

確かに、死にたいではなく
生きたいと言い換えれば済む話だった。

でも、それだけは、
それだけはなぜか、
変えたくなかった。


変えたくなかったんだ。




゛譲れない物  ゛



あぁ、もしかすると


これが 美学 なのかも。




僕は
終わり方の美学を持っている。





かもしれない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あと書き

今回のNoteは自分の価値観
にまつわる事を書きました。
自分自身対面で会うことが好きな
性格で、あまりSNSは活発にしないし
自分の事を書く機会もあまりありませんでした。
しんどいし、、
でも、Noteを始めたのは
最近出会った沢山の友達のおかげです。
彼ら、彼女らからすると先輩という
立ち位置ですが、
僕はあまり歳を気にしない変人で
友達と思っています。
(相手はそう思っていないのは承知で、
気を付けています)
その友達は、みんな毎日Noteを上げています。
拙い文章を必死に毎日投稿して、
フィードバックくださいと言う子もいます

あぁ書くしかないな。
そんなところから、
書き始めて今日で1週間。
正直めちゃくちゃだるい。
でも、だるいの中に小さく、
楽しい・嬉しい・新しい・学びの
発見があります。
それでも、みんなが続けているからこそ
今日も書くかと思っています。
関係ない人は読んでもらってすみません。

また明日もサボりながら書いていきます。
みんなありがとう。


ーーーーーーーーーーーーーー

友達の今のところの
個人的5選張っておきます


身内も1つ笑





生まれ方は選べない

死に方は自分で決めよう

終わりがあるものは、美しい

かっこよく生き

美学を貫き

人生のピリオドを飾りたい


その後、思う

僕の人生は美しい


あなたの人生は、美しい

.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?