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【書く習慣Day9】推しの笑顔に泣けてくるのは、なぜだろう

皆さん、こんにちは!
すーです。

9月がスタートしましたね!
早速雨続きのお天気模様…… 湿度が少しでも下がってくれる日はまだ遠そうですね…

そんな今日のお題はこちら。

Day9『最近泣いたこと』

仕事で色々なことが起きて心が疲れていた1日の終わり、
コンサート映像に映っていた推しのキラキラとした笑顔を見て、気付いたら泣いていました…笑

私はアイドルを応援しているオタクなので、
推しの笑顔が尊くて泣くということは珍しい話ではありません。(オタクはよく泣くものという認識)
ただオタクじゃない人からしたら、「推しの笑顔で泣けるの…?」と思いますよね…!


「尊すぎて泣く」ってなに?

私をはじめとしたオタクは、「推しが尊すぎて泣く」を日常的に使っていますが、
よくよく考えたらこの状態って何なのでしょうね…?

誰かに教わる訳でもなく、推しを見てきたら、
気付いた時には泣けるようになっていました。
そして個人的には、尊すぎて泣いた回数はここ数年でより増えている気がしています。
(泣くこと自体は減っているけど、推し関連では涙腺がどんどん緩くなっています)

この「尊すぎて泣く」という状態は、
推しが頑張っているところを見て、その姿に共感して泣くことだけじゃないんですよね。
私の場合は、どちらかといえば推しが幸せそうな姿を見て泣くことの方が多いです。

推しが幸せそうで、そんな推しを見ている自分も幸せなのに、なぜ涙が流れてしまうのか。

もちろん嬉し泣きということもありますが、
別の思いも含まれているような気がしています。

私たちは年齢を重ねていけばいくほど、
「全てがうまくいくわけではない」「今あるものがずっと続くわけじゃない」という現実を知って、悟っていくようになります。

そんな中でも、この一瞬を大事にしてくれている推しの姿勢に感動しているのか。
はたまた、「この楽しい瞬間ができる限り長く続いてほしい」と祈る気持ちが高まって涙を流すのか。

その時々によって涙の裏にある感情は異なるかもしれませんが、
少なくともオタクにとって、推しの尊い姿はかげがえのないものであり、だからこそ心が動かされる瞬間なのではないでしょうか。


誰かを思って泣けるという幸せ

今回は、自分の心が疲れている時に、推しの笑顔が沁みて泣いてしまいましたが、
自分以外の誰かや何かを思って泣けるということは、それくらい没頭できている証拠なんだろうなと思っています。

心の余裕がないと、他のものが持つ尊さを感じるということは、そもそもできないはずですよね。

私たちが嬉しい時も、悲しい時も、変わらず尊い推し。

そんな推しが尊くて泣けるということは、当たり前のように思えて、実はとても幸せなことなのではないでしょうか。



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