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移民にまつわる過去と現在

昔からアルゼンチンは移民に寛容な国として知られている。ブエノスアイレスを訪れると、他の南米の国では珍しく白人や金髪の人の比率が多いことに気づく。

日本の外務省によると、アルゼンチンのヨーロッパ系(主にスペイン、イタリア)の移民は97%、先住民系3%となっている。ちなみに私の妻ももれなくイタリア人移民5世である。

また戦前にはユダヤ人が移民としてアルゼンチンに押し寄せ、近年ではベネズエラの経済的混乱を逃れた人々が新天地を求めてやって来ている。

今回はそんなアルゼンチンの移民にまつわる過去と現在について簡単にまとめてみた。


大半を占めるヨーロッパ系移民

ヨーロッパからの移民が一番多かったといわれるのが1870年から1920年で、約600万人のイタリア人やスペイン人が海を渡ってきた。

日本人にとって馴染みのあるアニメの中に「母をたずねて三千里」(1976年公開)があるが、この作品はまさしく1880年代のイタリアのジェノバからブエノスアイレスに旅をする主人公マルコの物語である。

マルコの母親がアルゼンチンまで出稼ぎに行ったように、1929年当時のアルゼンチンは世界第5位の経済大国であり、世界的にも憧れの国となっていた。そんな栄華を極めた国の転落について今回は詳しく触れないが、当時のヨーロッパからの移民の影響もあり、アルゼンチンはイタリアをルーツとする文化が根付いている。

また美しいフランス建築の建物なども残っており、市内を散策すると「南米のパリ」と呼ばれる所以を見ることができる。

市内で最も大きな私邸であるフランス建築のパス宮殿

沖縄からの移民が多い日本人

日本人移民の第一号は1886年(明治19年)の牧野金蔵さんで、1907年から1909年の間に主に沖縄と鹿児島から多くの移民が到着した。ブラジル、チリ、ペルー、パラグアイなど近隣の国に入ってからアルゼンチンへと渡る移民も多く、ほとんどは個人による単独移住だった。1940年頃にはすでに約6000人の日本人が住んでいたようだ(※1)。

日本人の勤勉さと正直さは信頼できる存在として当時から一目置かれており、「ティントレリア」と呼ばれるクリーニング業などを営む人が多くいた。戦後は親族呼び寄せの移住や、1959年のミシオネス州ガルアペー移住地、そして1962年にメンドーサ州アンデス移住地への自営農移住なども行われたが、日本が高度経済成長に入ると移住者の数は減少する。

現在日本の外務省の在留邦人数調査(令和4年版)によると、アルゼンチンに住む日本人は約1万1400人であると報告されており(※2)日系4世まで含めると約6万5000人ほどであると日本政府は推計している。日系人の7〜8割は沖縄県出身者や沖縄県系人で、ブエノスアイレス市内にある「沖連会館」は県人会の交流の場として知られている。

今年でアルゼンチンと日本の外交関係の樹立から125年が経つそうだ。ちなみに1967年に当時の皇太子妃(現上皇后陛下)の初めてのアルゼンチン訪問を記念して建設された「Jardín Japonés」(写真上)は、日本国外最大の日本庭園で、今やブエノスアイレス市民にも愛される場所となっている。

市内の日本語学校「日亜学院」のバザー

増えるロシア人移民

2022年2月に始まったウクライナ侵攻以来、多くのロシア人妊婦とその家族がアルゼンチンに移住している。アルゼンチンはロシア人が90日間ビザなしで滞在することができる国の一つである。

AP通信によると、2022年の1年間にアルゼンチンに入国したロシア人2万2200人のうち女性は1万777人で、その多くが妊娠後期の妊婦だったという。

その背景にはアルゼンチンが「出生地主義」であることが挙げられる。アルゼンチンで出産すれば子供は自動的に「アルゼンチン人」としての国籍が与えられる。ちなみに日本は「血統主義」であるため外国人が日本で出産しても「日本人」扱いはされない。

子供が「アルゼンチン人」であれば、ロシア人の両親が永住権を得ることも容易だというわけ。現地紙によると、ロシア人に特に人気の高いブエノスアイレスの2つの病院では、出産数のほぼ3分の1をロシア人が占めるようになったそうで、ロシア語で書かれた張り紙を目にすることもあるほど。

妊婦たちが長時間のフライトを耐えて「出産ツアー」を敢行するのも、ロシアから逃れ、遠い地で新たな生活を送るため、子どもたちと家族の新たな可能性のために他ならない。

国勢調査の結果

国家統計センサス局(INDEC)の2022年国勢調査(※3)の最終結果によると、アルゼンチンの人口は4,623万4,830人だった。そのうちブエノスアイレス市に住むのは312万1707人(※4)。

そのうち外国人の内訳を見ると、パラグアイ人(29%)、ボリビア人(21%)、ペルー人(9%)、ベネズエラ人(7%)、チリ人(6%)、ウルグアイ人(4%)、コロンビア人とブラジル人(3%)となっており、およそ100年前に移民として押し寄せていたイタリア人とスペイン人は2%にとどまっている。

まとめ

今回は詳しく触れなかったが、実はアジアからの移民も多く、1960年代の韓国人移住、そして1990年代には中国人や台湾人が押し寄せた。ベルグラーノ地区にあるチャイナタウン(Barrio Chino)は週末多くの人で賑わう。

このように多くの国の移民を受け入れてきた歴史があることから、ブエノスアイレスでアジア人差別を受けることもほとんどなく、文化の多様性を受け入れる土壌がここにはあるように思う。

人種のるつぼであるブエノスアイレスの生活は、多様な食文化やそれぞれのアイデンティティーに触れることができる良い機会となっている。

参照

  1. 「アルゼンチンを知るための54章」松本アルベルト(明石書店)

  2. 海外在留邦人数調査統計:https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/page22_003338.html

  3. 国勢調査:https://www.argentina.gob.ar/pais/poblacion

  4. ブエノスアイレス市の人口:https://www.argentina.gob.ar/caba#:~:text=Datos%20Jurisdiccionales,707%20habitantes%20(Censo%202022).

参考文献
インフレ100%の方がまし、戦争避けるロシア人がアルゼンチンを選ぶ(ブルームバーグ)

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-03-08/RR7JLMT0AFB401

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