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自覚なく

あえて書くと、手応えのない状態に耐えられず、
少しだけ確認し、手掛かりを得ようとすることです。

これは自覚なく行ってしまうものであり、
それを抑え込むことは別の問題を生んでしまいます。

抑え込むこと自体はできるのですが、その結果、
働かなければならない機能まで阻害する。

この悪循環を断ち切ったのは、下手(したて)に対して、
さらに言うと周囲のすべてのものに対しても、
徹底して関与しないことでした。

稽古を始めて長い方は、
これが "関与しないという行為をすることではない"、
ということは理解していただけると思います。

その結果気付いたのは、歩くという行為ひとつとっても、
目的を投影して行っていたことです。

目的は結果を求めることに繋がるものです。

自分では結果を求めていないつもりでも、
それは自覚がないだけで、しっかり求めていたわけです。

それではどうすれば・・・、という観点で言い換えると、
下手(したて)の存在を意識する前の状態、
普段のままの状態に何も追加してはいけないということです。

下手(したて)の存在を知覚しても、認識を用いることなく、
そのままであり続け、下手に向かって歩くとしても、
何も追加しないで、ただ歩く。

何だ、そんなことは分かってるよ、
という感想を持つ方が多いかもしれません。

それでも、自覚なく何かを追加していることがあります。

優れた下手の協力がないと、そこに気付くのは難しいです。

2015/12/5 下里 康志