女の園の民だった
『女の園の星』という漫画のコミックス1巻を買って読んだ。
作者は和山やまさんという方で、Twitterで公開されている『友達になってくれませんか』という漫画が自分のタイムラインにリツイートで回ってきたのをきっかけに、私は彼女の漫画の大ファンになった。
『女の園の星』は女子校(高校)が舞台で、主人公は2年4組の担任、星先生。30代前半くらいの男性で、眼鏡をかけていて、いつもスタンドカラーのシャツを着ている、アンニュイな雰囲気の国語教師。
学園ものではあるが、授業や部活動のシーンはほぼ出てこない。
星先生の隣のクラスを受け持つ、ヘビースモーカーで能天気な小林先生との掛け合いを中心に、教師や生徒の学校での日常のしょうもないひとコマを切り取った一話完結のストーリーで、ページをめくりながら思わずクスッと笑ってしまう、否、クスッどころかブフォ!と吹き出してしまうこと多数。最後まで一気に読んでしまった。
そして、とても懐かしかった。
私も、かつて女の園の民だったから。
私の出身高校は公立校だが、普通科がなく文系に特化したカリキュラムが組まれていたため、一学年のうち男子生徒は10%にも満たず、ほぼ女子校のような環境だったのである。
学級日誌の片隅のヘタウマなイラスト。
ノートにトンチキな漫画を描いている子。
先生にこっそり付ける変なニックネーム。
若手の男性教師に向けられる視線。
すべて身に覚えがあり、深く深く頷きながら読んだ。
特に、星先生の観察日記をつける生徒の話を読んだ時は、胸の奥に大事にしまっていたものの埃をぱさぱさと払うような、不思議な気持ちになってしまった。
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私は高校2年から卒業するまでの間、英語担当の男性教師(当時20代後半)にほのかな恋心を抱いていた。
2年生の始業式の日に他校から転勤してきた彼はいわゆるイケメンではなかったし、教師として新米なだけでなく、童顔+体格もわりと小柄でスーツに着られているような印象だったけれど、生徒と自分を対等に考え、心のこもった授業をする先生で、私はその好青年ぶりに惚れ込んでいたのである。
私は憧れのT先生の授業があるたびに、その日感じた“萌えポイント”を手紙にして、吹奏楽部の同期である親友Oに渡していた。
ルーズリーフの切れっ端に「板書の字が子どもみたいに雑でかわいい」だとか「今日は最近観た映画の話で脱線していた」だとか書いて、六角形に折りたたんで、部活が始まる前に渡すのだ。
Oは帰りの電車(うちの高校は殆どの生徒が電車通学していた)でそれを読んで、翌日返事をくれた。「私のクラスでは、テキストを読んでる時に文言を噛んでからかわれてたよ」「T先生、うちらの定期演奏会に来てくれるみたい」
夏休みに英語の補講があると聞けば、光の速さで申し込み、学力向上を口実にT先生の姿を眺めるため、足しげく通った。
先生は受験に出る英単語や例文の他に、自分が学生の頃に読んだ洋書を教えてくれたり、時事問題を扱った英文を熱心に解説してくれた。時折ジョークを言っては、少年みたいな笑顔がきらきらと輝いた(ように見えた。私には)。
元々英語という科目は好きだったが、大学で国際文化を学ぼうと決めたのはT先生の影響も大きい。
2年生の後半、私は部活の副部長に選ばれた。練習が終わって学校を出る前、部室の鍵を部長もしくは副部長が日替わりで職員室の顧問の先生のところへ返却しに行くことになっていた。
顧問とT先生の座席が隣同士だったため、自分が鍵を返す当番の日は嬉しくて仕方がなかった。顧問に「さようなら」と挨拶するついでに、T先生にも声を掛けることができるからだ。緊張しいの私に、Oが付き添ってくれることもしばしばあった。
「遅くまでごくろうさん。気を付けて帰れよ」などと言われた日には、帰り道で先生の表情と声を思い返してずっとニヤニヤしていた。
T先生に学生時代からおつきあいしている女性がいるらしいというのは風の噂(女子校あるある:クラスに一人はこのような教師の私的情報を巧みに聞き出す生徒が必ず存在し、そしてその情報は学校中にすぐ回る)で知っていたし、平凡ないち生徒の自分とT先生がどうにかなることなんて天地がひっくり返っても有り得ないので、私は卒業するまでただひたすら先生のことを見つめ続けた。
卒業式の日、最後のホームルームが終わると、みんな思い思いにクラスメートやお世話になった先生方と写真を撮ったり、名残惜しく歓談したりしていた。
私はT先生に会いに行かなかった。親友Oにしか打ち明けていなかったこの淡い気持ちだが、すっぱり忘れてしまおうと思った。大学進学と同時に実家を出て他県で下宿生活を始めることが決まっており、春からのキャンパスライフに心をときめかせていたからである。
卒業記念にT先生と写真など撮ろうものなら、明日からもその写真を見つめてドキドキし続けてしまうかもしれない。しかし、私は高校を出て大学生になるのだ。大学は共学だし、新しい出会いだって待ってるかもしれない。
先生を好きだったという事実や、先生の素朴で温かい授業の思い出だけ抱えて、叶わない恋はもう終わりにしよう。
家に帰り、受け取ったばかりの卒業アルバムを開くと、おしまいの方に【お世話になった先生方のスナップ写真】というコーナーがあった。
その丁度真ん中あたりで、T先生があの少年みたいな笑顔でおどけたポーズをしていた。私はアルバムを開いたまま、ちょっとだけ泣いた。
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『女の園の星』で星先生を観察する生徒のエピソードは、意外な結末を迎える。星先生に関する衝撃の事実を知った生徒は、一瞬たじろいで、ちょっと涙を浮かべる。
そのシーンを、あの日卒業アルバムを開いた時の自分に重ねずにはいられないのだった。
私は、紛れもなく、女の園の民だった。