【連載】残された人生は大学卒業まで!? #15 815
noteをご覧いただいている皆さん、ありがとうございます。
「残された人生は大学卒業まで!?」へ、ようこそ!
BU(◎)DOHです🍇
体調は日を追うごとによくなってきました。
後少し、後少し、油断せず、治ってもしっかり油断せず最後まで治していこうと思います。
■815
さて、今日は入院のテーマではなく、815という数字についてです。
皆さん知っている人も多いでしょう、今日もTwitterのトレンドに入っていました。8月15日は終戦記念日です。
1945年から75年が経過した今、私が考えることとは。
■はとこのおじさんから聞いた話
はとこのおじさんは戦時中、駅員として働いていました。
鉄道の整備を行っていたそうです。
戦争中の電車などの交通手段は、いかなることにも必要になったそうです。物資を運ぶにも、疎開するにも、移動するにも必要なので、とても責任感のある仕事だと言っていました。
■前触れもなくやってくる空襲
そんなある日のこと、いつも通り鉄道の整備をしているときに、空襲がやってきたそうです。
おじさんは鉄道の下に潜り込んで作業をしていたときに、突然車両の外から爆発音が聞こえたそうです。
おじさんは怖くなって、鉄道の下に潜り込んで空襲をやり過ごそうとしました。
空襲が止み、鉄道の下から出ると、そこには変わり果てた駅の姿があったそうで、いつも一緒に働いていた同僚たちも、空襲に命を奪われてしまいました。
■おじさんは何を考えたか
偶然鉄道の下に潜り込んで整備をしていたときに、おじさんは空襲に遭いました。不幸中の幸いで、鉄道の鋼鉄に守られ、命拾いをしました。
でも、いつも過ごしていた同僚や、周りが一瞬で変わり果てた光景になっているのをみたとき、何を考えたんでしょうか。
いつも、その先の話を聞くときは心が痛いです。
おじさんも話を進んでしようとはしません。
その目の先には、今でも何かが残っているような、そんな表情をしています。
■私は何を考える
815、この日になるとはとこのおじさんの話を思い出します。
祖父に戦争の話が聞けなかったことを後悔もします。
でも、最後に必ずたどり着く答えは
「おじいちゃん、おじさん、生き抜いてくれてありがとう」
ということです。
あの過酷な世の中を、ただ生き抜いてくれた。それだけで素晴らしいことだと思います。こうやって今まで家系が続いているのも、話が語り継がれているのも、生き抜いてくれたおかげ。
命を大事に、一瞬一瞬を大事に生きようと、考え直すきっかけにもなります。
■終わりに
今日もここまでご覧いただきありがとうございます!
皆さんそれぞれ、この日は考えることがあると思います。本当に色々…。
とにかく、残された人生を大事に生きるきっかけになるような日はそんなに多くはないと思うので、その感情はぜひ大事にしていただければと思います。
入院生活も、後二日…元気に退院できるように頑張ります!
全ての皆さんに、明日も幸せが訪れますように。
BU(◎)DOH
あなたの一存で、これからの旅路を一緒に作っていけたらいいと思います。