英語がペラペラなら、グローバル人材だよね~。
先日、この記事を見て、とてもガッカリした。
いくつかの関連記事を読んだら、書き方が少しずつ異なっていたが、私が読んだこの朝日新聞の記事には特にガッカリしている。
書いてあることを箇条書きにしてみた。
「使える英語力」をめざす試みの一つ
英文の音読やイラストの説明を録音する方式で、対面した人とのやりとりはない
評価対象は、文法の適切さや論理構成、発音など
「相手に理解してもらう英語を発信する力」をつけ、実践的な英語力を育む狙い
「生徒の励みになる」と評価する意見がある一方、教育現場を中心に疑問の声も上がる
「公平公正に着実にやっていく。英語学習に意欲を持ってもらえるようなテストにし、安心して受験できるよう準備する」
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「相手に理解してもらう英語を発信する力」がある人って、どんな人だろう。
文法の適切さや論理構成、発音が素晴らしい人か。
では、英語を取ってしまって、「相手に理解してもらう発信する力」がある人ってどんな人だろう。
私は、熱量だと思う。
どれだけ伝えたいという信念を持って、諦めずに伝え続けるか。
自分のことを理解してもらうからには、相手のことも理解して、双方の立場で発信する。
それを、コミュニケーションと呼ぶのではないか。
コミュニケーションは、相手がいて初めて成立するものなので、パソコンに向かって話すテストで力を測定するのは難しいだろうから、となると、このテストはただ単に「文法と文章力と発音のテスト」ということだろう。
それならそれで、いいと思う。
私が引っかかってしまったのは、このテストを実施した上で、「相手に理解してもらう英語を発信する力」を育みたい、というところだ。
スピーキングテストが入試で必須となれば、生徒だって準備をしなくてはならない。
英会話レッスンを受けたり、模擬試験を受けたりするであろう。
だがそれは、学校外で英語教育に時間や費用を充てられる家庭の子供しかできない。
今さら英語のテストを増やして、生徒や保護者や先生に「どうやって対策しよう?」と心配させ、付け焼刃のテスト対策をさせて、このテストのスコアだけ高く取って何になるのだろうか。
私は昔、このテストをつくった会社が運営していた語学学校で勤務していたので、内容をよく知っている。
22年くらい前に開発したと思う。
当時はパソコンに向かって話して採点される日本発のテストはなかったので、画期的だったと思う。
定期的にこのテストを受験することによって、英会話レッスンに効果が表れているかどうかを測定するものであった。
英会話学校の一番小さい教室にパソコンとヘッドセットを準備して、生徒さんに入ってもらい、パソコンに向かって話したり、文法やライティングのテストもする。
テストが終わって教室から出て来た生徒さんはぐったりとしていて、このテストが大人でもしんどいものだとは当時から分かっていた。
私はそのテストを英語学習と一緒に販売する側だったが、英会話は売れても、このテストは売るのが大変だった記憶がある。
仕事で英語が必要だからと、会社の経費で英会話レッスンに通う大人ですら、テストを嫌がって受けたがらない。
「テスト」と聞いて大喜びする人なんていないのは、大人も子供も同じだ。
英語が話せればグローバル人材、ではない。
創造力、チームワーク力、ITリテラシーなどの、21世紀型スキルが高く、且つ言語能力が高いのがグローバル人材だ。
英語が母国語でも残念な人はたくさんいるし、発音が母国語っぽくても、文法が時々おかしくても、「相手に理解してもらう発信をする力」が長けている人はたくさんいる。
英語を正しい文法と論理構成と発音で話せるのはAIだ。
AIがやってくれるので、人間が頑張る必要はない。
そんな未来はすぐそこまで来ている。
私が採点する側なら、出川哲朗さんに100点満点を捧げたい。
続きは次回。ちょっとアピール。こんなことやっています。👆
スタエフもやってます🎵