カナダの学校で仕事をする私が、英語より大切だと思うこと。
カナダの高校生は、夏休みにバイトをする。
サマーキャンプやスポーツイベントで忙しい高校生もいるが、まったくバイトをしたことがない高校生は少ない。
高校を卒業する条件のひとつとして、ボランティアなどの地域活動や、アルバイトを一定の時間数する必要があるというのも理由だろう。
個人的に、バイトはいいことだと思っている。
社会の仕組みが分かるようになるし、視野が広くなるので、将来設計にも役立つ。
お金を稼ぐというのが、どういうことか学べるし、自分で稼いだお金の使い道も考えるようになる。
家族や学校の友達以外の、今まで関わりがなかったタイプの人にも会える。
例えば、私が運営しているオンライン国際交流サークルにバイトとして参加しているカナダの中高生であれば、『カナダに住む日本人』である私に会い、日本の中高生に会え、話しをすることができる。
日本の中高生との交流を通して、言葉や文化、都市、食べ物、慣習などについて学ぶことができる。
日本の中高生も、サークルに参加することによって、日本にいながらにしてカナダに住む友達がつくれ、リアルタイムで現地の中高生がどんなことを考えて過ごしているかを知れる。
サークルに入らなかったら、一生出会えなかった人に会える。
外国への偏見やカルチャーショックが和らぐかもしれないし、お互いの国に興味を持つかもしれないし、このサークルで体験することが、将来の方向性や人間性に良い影響をもたらすことを願っている。
そこには、英語をうまく話そうとか、テストでいい点を取ろうとか、机上の目標はなにもない。
ただ、コミュニケーションを楽しむだけ。
身振り手振りや写真、辞書を使って、自分が言いたいことを最大限の努力で伝えるだけだ。
私は、出会いの数だけ学びがあると思っている。
いつも同じタイプやコミュニティの人たちと過ごすよりは、異なる世界の人たちと出会い、理解を深めることによって、今まで見えなかったことが見えるようになる。
でもこれは、大人になればなるほど難しくなるような気がする。
自分にとって居心地の良い範囲から抜け出し、敢えて普段付き合いわないような人たちと付き合うのは勇気と気力と体力がいる。
だから、若い頃から受け皿を大きくしておくことが大事なのではないか。
固定観念にとらわれる前に、色々な人と出会う。
苦手意識を持ってしまう前に、色々なことに挑戦をする。
そうすることで、人の気持ちが分かる人間になれるのではないかと思う。
先日、私の大好きなNoterのShuさんが、こんな記事を書かれていた。
英語の勉強は大事だと思う。
テストで良い点を取らなくてはいけないとか、資格を取らなくてはいけないとか、色々な事情もあると思う。
でも、英語ができるようになることだけを目標にはしないでほしい。
英語が上手ではないから、自分の言いたいことが伝えられないのだ、と思うことがあるかもしれない。
だが、英語があまり上手でなくても、言いたいことをきちんと伝えられる人を、私はたくさん見てきた。
それは、人間としての魅力がある人だ。
人間としての魅力があれば、英語力は二の次だったりする。
英語が流暢に話せても、人間として魅力がなければ、伝えたいことは伝わらない。
なぜなら、『なにを伝えるか』よりも、『どう伝えるか』の方が大切だからだ。
英語だろうと日本語だろうと同じことだ。
言語など、何語で伝えるかだけの違いで、自分の考えや、伝えたいメッセージは変わらない。
だが、『どう伝えるか』は、人によって全く違う。
人の気持ちが分かる人間は、『伝え方』に余裕がある。
『伝え方』が上手な人は、人間として魅力がある人なのだ。
魅力的な人間になるためには、たくさんの人と出会い、知識や考え方を吸収し、自分の心地の良い範囲を広げるしかない。
つまり、場数を踏むしかないと思うのだ。
日本では、高校生のバイトを禁止する学校も多い。
学業に専念できないからという理由らしい。
学業ってなんなのだろう。
『生きる力』を身に付けることが学業だとしたら、バイトは学業だと思う。
社会の一員として身を置くことで、違った自分が見えてくる。
世の中にどんな職業や仕事があるかや、自分の向き不向きが分かる。
それは、時期が早ければ早いほどいいのではないかと思う。
皆さんは以下の記事について、どう思いますか?
続きは次回。ちょっとアピール。こんなことやっています。👆
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