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対談① 茶寮ささの代表 笹野千津子さん&Buddycare株式会社代表 原田和寿

はじめに

鹿児島県薩摩川内市東郷。お茶やフルーツの町としても名高く、菅原道真公ゆかりの藤川天神は地域の人々に心のよりどころとして親しまれています。笹野千津子さんはお茶農家の経営に携わりながら、製茶工場隣に「茶寮ささの」をオープン。緑濃い山あいに、多くのお客様が訪れる人気スポットとなっています。また、笹野さんはバディフードの愛用者でもあります。バディケアの草創期よりご支援いただき、以来、愛犬ブリスくん(トイプードル)のごはんにバディフードをご利用いただいてきました。笹野さんのユーザー体験、バディケアに期待することなど、うかがいました。愛犬家同士、また地域の農産物とも関わりの深い経営者同士の対談を、ぜひご覧ください。

茶寮ささの テラス席にて

年齢を重ねた愛犬に寄り添ってくれたバディフード
原田:こんにちは。本日はお時間いただき、ありがとうございます。笹野さんにはバディケアの創業間もない時期からご支援いただき、弊社の愛犬用ごはん「バディフード」を長くご利用いただいてきました。あらためてご愛用いただき、誠にありがとうございます。笹野さんはどんなきっかけでバディケアを知っていただいたのですか?

笹野:ブリス(トイプードル)は長く飼っていたので、ごはんの悩みはずっとあったんです。ある時、知り合いがバディフードのことをFacebookにあげていて、その取材記事を読んだところ、バディフードが自分の求めていたものと合致して、すばらしい取り組みだと感じました。その後、バディケアが実施した製品ローンチのクラウドファンディングから参加させていただいたのがきっかけですね。実際に食べさせたらそれはもう、答えがばっちり出たので(笑)本当に安心安全な食材でつくられていて。やっぱり生産者が見えるというのが重要ですよね。私たち自身も生産者なのでそう思います。バディフードを調理製造する会社も知り合いでしたし、生産者、製造者、販売者が明確に自分の生活とリンクしていることがわかったので、安心して自分の大事なパートナーに与えられるものだと感じて、利用を始めたんです。

バディフード(全10種)は九州産・国産の食材を使用し、食品会社で調理製造しています

原田:その当時、ごはんで困っていたこととは?

笹野:ブリスがバディフードを食べ始めたころが15歳くらい。それ以前に一度、誤嚥をして大変な思いをした経験があり、自分のなかで食事のことがずっと引っかかっていたんです。彼らは食べるものを選ぶことはできない。選べないなかで、私たちが与えるもので生きている、という現実を痛感しました。ワンちゃんたちが食事をする環境やタイミング次第で、うっかり誤嚥を起こして、命に係わるような事態になるのだと思うと、責任を感じました。そんな時、バディフードは刻みが細かくしっかりしていて、これならと安心して選ぶことができた。咀嚼の機能が落ちてくる老犬の状態に寄り添ってくれるフードを選べることが、とてもありがたかったです。

笹野さんの愛犬ブリスくん。お嬢さんの腕に抱かれて

創業の「思い」を忘れることなく
原田:私たちは共に、食に関わる事業を行っています。命に係わる事業を扱うなかで経営者としてどんなことを思っていますか?

笹野:私と主人は鹿児島大学「稲盛アカデミー」で研鑚を重ねるなか、企業とは社員・スタッフがいて彼らの生活を守ることに始まり、どれだけ社会のため、人のために尽くせる仕事をできるかを追求することが重要であると学びました。当社もそうありたいと願っていますし、バディケアはそれに沿った企業だと感じています。創業の思いにまず共感したので、私もお力になりたいなと思える企業です。どの企業にとっても人のためにやっていることが結果、会社を潤してくれる。お金のためだけの企業はいずれ淘汰されますし、そのような状況では社員やスタッフも十分なやりがいを得られないのではと思います。

原田:バディケアも思いを大切に、事業を行っている企業だと自負しておりますが、創業時の思いを継続させ、社員やスタッフにもしっかりと根付かせていくためにはどんなことが大切だと感じていますか?

笹野:自分のため、会社のためだけではなく、社会のためにという思いをスタッフや周りの人と一緒に共有していくことではないでしょうか。みんなで喋って、思いを共有することが大事ですね。自分だけが突っ走ることなく、思いが全員に伝わっているか?と自問しながら。伝えること、意識を共有することは常に心掛けています。

原田:バディケアも「思い」から始まった企業です。それがなくなったら、存在もなくなってしまうと思うので、同様に心掛けていきたいです。

「茶寮ささの」を始めた理由

原田:ところで「茶寮ささの」を始められたのは、どんな思いや理由があったのですか?

笹野:まず、笹野製茶が基盤としてあります。お茶業界全体でいうと昭和から平成、令和と時代が移るにつれ、落ち気味という傾向がある。このような状況下で感じたことは、「お茶はちゃんと伝えないとわからない」ということ。鹿児島のお茶って本当にいっぱいある。その中からうちの製品を選んでいただくって大変なことです。良さを伝えないと始まらない。ただ並べているだけでは手に取ってもらえない。だとすれば、自分たちで発信することを始めないとだめなんじゃないか、というところが出発点でした。商談会や催事に数えきれないほど出向いて、いろんな方とお会いしたとしても、何百とある製茶会社のうちのひとつでしかない。そこで戦い続けるよりは、「お客様のほうからこちらに来ていただけるような、魅力あるお店を拠点にして、発信するほうがいいのかな」と、六次産業化を考えるなかで至りました。

訪れるたびに季節の移ろいを感じさせてくれるエントランス

原田:そうして2019年5月に「茶寮ささの」を開業されたのですね。

笹野:はい。コロナ禍の始まる前年ですね。オープンして、ここをベースに何ができるかな?と試行錯誤してきました。お茶の飲み方はたくさんあるなか、どう伝えたら、お客様がご自宅でも淹れて飲んでみたいと思ってもらえるのだろうか…と。お茶の教室をするのですが、参加者の中には「自宅に急須がない」と言う方もいます。私と同世代の母親たちであってもです。「急須で淹れることはないですね、ペットボトルでいいかな」と言われてしまうと、何ともいえない気持ちになるんですが(苦笑)それはきっと、お茶の魅力を感じる何かが発信できていないのかもしれないと、思うようになったのです。すてきな急須、茶器をもって、自分のために、だれか大事な人のために、おいしいお茶を淹れてあげたい。そんな気持ちにさせていない生産者にも責任があるのではないか?と。「お茶をつくりました!どうぞ」だけではなく、こうしたらもっとお茶を楽しめますよという、お客様の気持ちが上がる工夫、発信を私たち生産者からするべきだろうと。「こういう飲み方あります」「こういう出し方をすると喜ばれますよ」と、生産者から一歩進んで、提案者になったほうがいい。その提案の場が「茶寮ささの」なんです。

地域社会への思い

原田:製茶工場の隣というロケーションもさることながら、人里離れたこの場所にお店を開かれたのは、なぜですか?

笹野:地域の課題、過疎化が進んでいるという現実と向き合うなかで、田舎を出ていった人々がいま、都会で求めているのは結局こちらの世界、一巡して「田舎のもの」ではないか?と気づいたのです。インバウンドの観光客も同様です。都会から田舎に行って、田舎の体験をするために、お金をかける風潮があるのであれば、ここだって求められているはず。この地域で、しっかりと手をかけておもてなしをしよう。「何もない」と言ってしまったら、それで終わってしまう。きっと発信力が足りてないだけ。どこだって、何もなかったところを耕してつくりあげてきたものですよね。どんな地域であっても、つくりあげていく努力はするべきなのかなと思っています。

愛犬家どうし、そして農産物に関わる経営者として

ここまで対談の前半をお届けしました。笹野さんのお茶への思い、地域社会への優しい眼差しが感じられます。続く後半では、「茶寮ささの」を訪れる外国からのお客様から、笹野さんが気づかされたこととは。そして、笹野さん最愛のブリスくんとの日々について、お話していただきました。

→後編の記事はこちら

2024年11月 「茶寮ささの」にて収録


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