他人の評価はその人の都合
他人の評価は他人の目に映った自分のすがた。
「あの人はこうだよね」とか自分のことを人が評価をする。
これが他人という鏡。
これは自分のすがたを正しく映すだろうか?
他人の評価にはその人の都合というのが入る。
商売仲間で持ちつ持たれつなら、
私のことをいいように思うだろうし、
商売敵なら私を悪く思うだろう。
都合なしに人間を評価するのはむずかしい。
極端なことをいうと、家で主人がテレビを見ているときに強盗がやってきた。
たちまちしばられて包丁をつきつけられた。
一人の警察官がたまたま入ってきた。
その警察を主人が見たらどう思うか。
なんとまぁ輝かしく見えるか。
逆に強盗が見たら、やべえどころじゃないでしょう。
表情は一緒でも鬼にも仏にもなる。
一つの表情が、都合が変わればかくもかわる。
結構こういうことはある。
伊藤博文。
あの人を暗殺した人は安重根。
ソウルに行ったら安重根の銅像がたっている。
伊藤博文っていったら日本では昔お札の顔だった。
相当のこと。
日本では立派な人。
片や韓国にいくと、韓国併合の大悪人。
都合が変わると、同じ人物でもかくもかわる。
豊臣秀吉も同じ。
韓国の大河ドラマで秀吉が出てくると、熊みたいな顔をしている。
竹中直人とか人情派が演じる。
日本ではジャパニーズドリームになるけど、向こうにいくと大変。
じゃ本当の秀吉はどうなるんだろう。
私たちは日本人だから都合を抜きに見えないと思う。
客観的に判断することは難しい。
その都合を何で決めるか、自分の利害打算と関係がある。
そんな他人の評価に縛られる必要はない。