幸せの平常化

私たちの幸せは、他人と比べて喜ぶ相対的な幸せ。

これだと競争社会になって苦しくなるから、他人と比べないようにしようと思う。そこで出てくるのが過去の自分。

過去の自分と比べて喜ぶ。これは見落とされがちだけどやはり相対的な幸せ。

私たちの感覚は相対的。

30度の風呂でも、水風呂の次に入るとあたたかい。
40度の風呂から入ると冷たい。

幸福感も同じように、
100万円だけでは、幸せかどうか分からない。
無一文の時にもらうと信じられない喜び。
億万長者になって年収100万になると、破滅かと思う。

このように幸福は平常化する。
おぼれて助かったという時には、空気がありがたい。
ところが5分も立つと空気はあるのが当たり前になって喜べない。

あなたは3億円持っている人以上の幸せ。
なぜならこの記事が読めるから「目が見える」ということ。

失明して3億で治してもらえるなら治すでしょう。
光を取り戻したとき3億以上の幸せ。
一ヶ月もすれば、今の自分と同じになる。

こういうことからすると、豊臣秀吉が天下統一して満足できたのもしばらくの間。
どんな幸せも時間と共に当たり前となり風化せざるを得ない。

大学合格しても、その時は胴上げして喜んでいるけど、
2、3年立って、掲示板の前で胴上げしている人はいない。

比較して喜ぶという心のしくみから抜け出せない。

どんなものを手にしても、手に入れた時点で、私の過去が変わる。
その先は手にしている自分になる。
そして時間が立つと幸福感は薄れる。
構造上やむをえないこと。

これをつきとめた哲学は、これを相対の幸福と呼び、人間の心を本当に満足さ
せるものではないとしている。

では本当の幸せとは何かというと、一人いて喜べる絶対の幸福。


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