不幸じゃないけど満ち足りていない

唯川恵(ゆいかわ・けい)という作家の
『ロンリー・コンプレックス』の「はじめに」に
このようにあります。
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もし今「不幸ですか?」と尋ねられたら、すぐに「いいえ」と首を振ることができます。
でも「満ち足りてますか?」と尋ねられたら、きっと返事に詰まってしまうでしょう。

不幸じゃないけど、満ち足りてはいない。
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この「不幸じゃないけど満ち足りていない」って言葉、そうだなと思いませんか。
確かに大学には合格した、だけど、これからが人生。
充実しまくって、やる気満々、今日も元気だ牛乳がうまいという人はいても少数派でしょう。

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確かに、食べることに困るわけではないし、住むに困ることもない、
そこそこのお給料をもらい、そこそこの欲求も満たされて、それなりの毎日を過ごしています。

それでもやっぱり何かが足りないのです。

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今、貧困のあまり食べるものがないという人はあっても少ないでしょう。
世界レベルからいうと飢餓で苦しんでいる人は8億4千万もいるそうですが、
日本ではその人たちに較べてなんと恵まれていることか。
コンビニやファミレスでバイトすればよく分かりますが、勿体ないこと勿体な
いこと、少し古くなっただけでドンドン棄ててしまう。
それで命を繋いでいた知り合いもいましたが、日本ならそのような手段をたとえ使ったにしても食べていけます。
ましてやあなた食べること、住むことに困りはてていはしないでしょう。
勿論贅沢をいえばキリはありませんが。
衣食住はそれなりに満たされているけれど、何かが足りない、といっています。
次を読むと

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それが何なのか、自分でもよくわかりません。
だからつい、他人と較べて自分を位置付けてしまう。
あの人には充実した恋がある、心を許し合う友達がいる、暖かい家族がある、やりがいのある仕事がある、なのに私ときたら・・
そして、ひとりとり残されてゆくような気持ちになってしまうのです。

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「何かが足りない」けれども、それが何か分からない。
これは非常に大きな問題なんです。
その「何か」が分からないと幸せにはなれないんです。
これは古今東西の例をみるとくっきりその問題点が浮かび上がってきます。
そして、つい他人と較べてしまう。
私が寂しいのは、あの人より恵まれていないから。
私が悲しいのは、あの人たちより不幸だから。
自分は自分なのに、つい他人と較べてしまう。
自分自身に自信が持てず、他人と較べて私はどうかなと思ってしまう。
そのこと自体が幸せでない証拠なんです。


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