ある時は当たり前に思っているがなくした時後悔する

かの有名な善導大師という方は
「一度地獄に入りて長苦を受くる時始めて人中の善知識を思う」
といわれています。
善知識というのは、正しい仏教の先生のことです。
人間界に生きていた時に仏教を聞かせて頂いているときはそんなに素晴らしい
有難いと思っていなくても、
それが二度と帰ってこなくなったときに
「馬鹿だった。
自分は素晴らしい環境に身を置いていた」
と後悔する、ということです。
そのときは一生懸命だったと思っていても、
後になって馬鹿だったと思う。

少し入院して話できなくなっただけで、健康のありがたみを感じる。
私達も振り返らなければならない。
諺に謂く「喉元過ぎれば暑さ忘れる」

あの時あんなにあせったのに
あの時あんなに必死で真剣になったのに
台風一過で問題となったことが過ぎ去ると
忘却のかなたに忘れ去る。

こんな状態では後悔するようになると思ったり
決意したりしても
いつのまにか過ぎていくことがあるような気がします。

それを繰り返しながら人間界の寿命尽きて地獄へ突っ込んで馬鹿だった。
なぜ仏縁を求めなかったか、話さなかったかと万劫に悔いを残す事になります。

ですから力の出し惜しみすることだけはないように、忍びて終に悔いじ
これは私達いつでもどこでも肝に銘じなければならないことだと思います。


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