乳児期の探索活動から続いている

こういうことで、私たちは第一反抗期を、本当に身体で思い切り反抗させ、その次にくる四、五才の言葉での反抗を、やはり一緒になって受け入れてやり、そしてやがてくるギャングエイジ(小学校・中高学年)になった時に十分自分の力を発揮できるような子どもに、悪に立ち向かえるような子どもに育てていかなければならないと思うんです。このギャングエイジが乳児期の探索活動から続いているものであるということを私たちは忘れてはいけないわけです。
(私の大地保育/塩川豊子/大地教育出版)
※版権者の許可を得て引用しています。

この一文は、「第五章 夏季セミナー基調講演>2「楽しい乳児保育」から引用した。

塩川豊子さんが二代目園長を務めた野中保育園(現・野中こども園)では、1982年から2003年まで22回に渡って、園単独での企画・運営による「大地保育夏季セミナー」を開催した。
豊子さんは1999年に亡くなったが、体調を崩すまではずっと基調講演の講師を務めた。
この「楽しい乳児保育」は第三回(1984年)の講演録に当たる。
概要は以下の通り。

一、個人の子育てと集団保育
二、本来の子どもの姿
三、四ヶ月の鍵
四、探索活動の許容量と、情緒の安定
五、母親の育児と生活文化
六、集団保育の場での自由保育の意義
七、情緒の安定が人格形成の基礎
八、親も楽しく・保育者も楽しい保育

家父長制や性別役割分業の影響が残り、母親・お母さんという言葉が頻出する一方で、乳児期の父親の役割については殆ど触れられていないなど、現代の感覚で読むと違和感を覚える部分もある。
しかし、探索活動(イタズラ)が許容され、主体的に環境に関わる機会を十分に保障されること、安心感の中で成功体験を積み重ねることが、子どもの情緒を安定させる、というロジックは現代にも通用する。

また、平井信義氏の『人格構造論』を引いた「情緒の安定こそが人格形成の基礎を築く」という信念は、今もって野中こども園の保育理念の根幹となっている。

冒頭に引用した文章は、この講演の最後に付け加えられた、豊子さんから当時の社会への痛切なメッセージだ。
その前段として、豊子さんは以下のように聴講者に語りかけている。

最後にもう一つ言いたいことは、現在の中学生の非行とかつっぱりの問題で、今、また体罰が出はじめているということは、大変なことだと思います。どんなことがあっても子どもに体罰を加えるということは、人間不信になることです。体罰を加えてありがたいなんていうことは、まずないわけで、とても怖いことだと思うんです。そういうことをやられる先生方が、これはみんな、幼児期の躾が悪いからなんだというふうにおっしゃったりしますが、まちがっています。

鉄は熱いうちに打てというから、子どもも小さいうちにひっぱたいてでも何してでも躾ていうことを聞かせなきゃだめだ、という、そういう“しつけ論”をいう方もありますけれども、それは、今までお話しましたことから言って全く違う考え方で、人間は鉄ではありませんから、そんなことを決してみなさんお考えにならないで欲しいと思います。

それで、私たちはやはり子どもに自由を与えなければいけない、子どもに人間を愛することを教えなければいけない、人間不信になってはいけないということが、幼児教育の役割、仕事ではないかと思うわけです。

豊子さんは、常々「本来、赤ちゃんはご機嫌の良い存在です」「乳幼児期に一番大切なのは情緒の安定です」と説いていた。
その一方で、教育とは「理不尽に耐える強さ」を身につけさせるためではなく、「理不尽に気づく目」と「おかしいものはおかしいと言葉にする力」を涵養するために用いられるべきだと表明し続けていた。
私は、そう読み取っている。

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